研究者への道を歩む

タイトルが的を射ていませんが、

なんて書いたらよかったのか分からなかったもので・・・。

 

近年、若手の研究者が研究の道に進まなくなっていると聞きます。

その理由の大きなものに、

一般的には耳障りのよい「成果主義」があるそうです。

これは、競争的資金の調達というレベルのものではありません。

例えば任期制という制度の導入が問題だという事で、

この業種は、30歳直前まで学生をやっていますので、

就職活動はそこからとなります。

その時に応募できる職のほとんどすべてが

4年とか5年とかの任期が決められているのです。

そして、その任期は大体1回の延長しかできませんので

40歳くらいに路頭に迷う危険性があるわけです。

なにもこの制度全般を否定している訳ではありません。

このような制度が存在し、その制度にチャレンジする若い人がいても構わない。

そこに採用されれば、平均よりもはるかに良い待遇が約束されていれば

それに賭ける人がいるのはよい事だろうと思います。

しかし、この制度が研究社会の基本になっているのは事実であり、

そこには何か大きなものへの挑戦という夢のある話はなく

研究者という職業を選択して最低限の生活を送ろうと考える人にとって

無謀にも高い壁が存在しているように感じられるのです。

ここでの議論は、その人の能力の話ではありません。

能力があってもその道を選ばない人が増えている事の問題点を述べているに過ぎないのです。

 

研究なんてモノは水物で、上手くいくときは上手くいくし

上手くいかないときは何をしても上手くいきません。

これは、個人の資質とは少し違うような気もするのです。

そうなると違った問題も生じて来ます。

本質的な問題に取り組む研究者は間違いなく減るでしょう。

なぜなら、本質こそ何をして良いか分からない問題をはらんでいて

それに挑戦するという事はどんなに努力しても成果が出て来ない可能性があるからです。

だから、目の前の誰にでも答えの見えている問題にばかり挑戦して、

あとは他との競争に勝つ事だけが目的となる訳です。

そうしないと論文が書けないし、論文が書けないと職を失う。

研究者を目指す一部の人ですらこの傾向になりがちですから、

研究者になりたくても、40歳で路頭に迷う事を危惧する

「臆病者」は能力があっても研究の道に残る事を目指しません。

 

同様に見えるのは、いまの日本です。

いつくらいだったか、成果至上主義が根付き始めました。

まあ、西洋原理主義とでもいう方が良いのかも知れません。

これを根本から否定しようとは思いませんが、

これによって年功序列が揺らぎました。

年を経るごとに給料が上がっていく日本独自のシステムです。

リストラと言う名前の首切りも盛んに行なわれ始めたように感じます。

さて、この社会で、真面目に務めていても給料が上がらないばかりか

いつクビになるか分からない社会で、将来の展望を描けますか?

家庭を持ち、子供を育てという事ができますか?

老後の生活を楽しみにできますか?

これが社会不安の最も大きなところの一つだと思うのです。

たしかに、がんばって働く若者寄り、

サボる事に生き甲斐を見いだす中高年の方が給料が高いとなれば

若者に働く意欲をなくさせる結果となるでしょう。

しかし、これは一部の例外的な環境ではないかと思うのです。

サボる事に生き甲斐を見いだす若者は確実にいますし、

一所懸命に仕事を進める中高年も間違いなくいます。

それを世代間の問題に置き換えるから議論がおかしくなるのだと思います。

西洋と日本は、その分化が違います。

その西洋の社会をそのまま日本に移植しようとして

上手くいくと考える事に無理があるのだと思います。

 

研究者にも、もう少しゆっくりと本質的な問題を解く時間を与えてあげたい。

世界と競争しているという言葉を裏返せば、

その人がいなくても世界の誰かが同じ成果を出すという事で、

だったら、その研究は他の研究者にしてもらえば良いじゃないですか?

研究の意味を大きな視点で将来の歴史も踏まえてみた場合には

「俺がいなければこの研究は百年経っても進まない」ってことにこそ

優秀な頭脳を費やして欲しいと思います。

本当に優秀な、国内に数人しかいないような研究者の話はどうでも良い。

ただ、研究の裾野を広げなければそのような研究者すら出て来れないでしょう。

どの世界でも同じ事で、優秀な人はせいぜい全体の2割です。

その2割の為の議論を、その世界全体の議論に置き換えていることが

どうかんがえても理に適っているとは思えないのです。

「普通」の研究者がたくさんいる事で優秀な研究者もいられます。

普通の研究者になる道をもう少し安定にできないものなのでしょうか?

30歳を過ぎ、過酷な競争に勝ち進んで得られる給料は

大学教員でも普通の職員と、多少は高いかも知れませんが、まあ変わりません。

雇用体系にもよるでしょうが厚生年金や共済年金に加入できる年限は

ヘタをすれば20年ほどしかない場合も珍しくはない。

年金はかけた年数が給付金額に大きく関わる訳だから、

老後の不安も抱える事となる。

少ないポストを勝ち取り、任期制に耐え、なんとか先に進めた「勝者」でも

給料は高くなく、年金は一般サラリーマンよりも間違いなく少ない、

こんな制度の先に素晴らしい研究社会が広がっているとは

少なくとも若い人たちの目には見えていないのではないでしょうか?