緊張と集中
アンパンマンの声優でも知られる女優の戸田恵子さんは、
一人芝居の稽古をして台詞を何度か間違えた時に
相手に向かって「ごめんなさい」と声をかけたそうだ。
「一人芝居」なのだから相手が存在するはずが無いのだが、
あまりに集中しているあまりそこに相手は戸田さんには存在したのだろう。
演技の上手い下手というのは、いかに演技をしないかだと聞いたことがある。
その役柄に完全になり切ればあえて演技を必要としないということらしい。
だから「演じる」を意識している時はまだまだってことのようだ。
もちろんかつて経験をしたことの無い役柄を演じる時に
その役になり切ることは理論的には不可能だが、そこが「役者」なのであろう。
もちろん本当に勉強家の役者は実際に現実にもその役を調べてその役に取り組むらしいが、
本当にその人になる必要は無い。
役者がその役柄を徹底的に考え、そこに入り込んでその役柄になり切れば
現実に即していなくてもそれで良いのではないのだろうか?
やはり、「なり切る」ってことが重要だということで、
これは「演技をする」のとは本質的に異なる行為なのであろう。
なり切るとは台詞回しを自分のものにし、
行動の一挙手一投足をその役柄としてやり切ることだと考えられる。
全てが、その人が産まれてから毎日のように試行錯誤を繰り返して会得した
人間としての行動の「かたち」をそのままに体現することである。
それに対して「演ずる」とは全ての関係する言動をひとつひとつバラバラにし
ある部分を演じ、ある部分は自分のままでいるということと考えても良いように思う。
まさにゲシュタルト崩壊が起こっているのである。
何かを失敗するとき、悪い意味での緊張が原因であることが多い。
要するにその行為をする時にアガッてしまって実力を出せないということである。
アガるとはどういうことなのかを考えてみよう。
アガるとは多くの場合に周囲の目を気にしているのではなかろうか?
誰も見ていないところで一人行なうときにアガる人はいないのだろうから、
具体的な「周囲」を意識しているのではなくとも、
意識がどうしても他のところに行ってしまう訳で、
それが、一人の時にできていた神経系の関係性に雑音を入れているのだろう。
アガって頭が真っ白になり、何をしているのか分からないままに
すべてを上手く行なうこともあり得る。
それは、おそらく頭が真っ白になったおかげでアガッたことがかたちを壊すことにならず
逆にかたちをあるがままに具現化するのに良い方に働いたと考えていいと思う。
しかし、アガった場合にはかたちが脱構築してしまい、
具体的には次の台詞や行動が抜けてしまう。
あるいは、誰かの目を意識するあまり、
少しでも格好良く見せようとしたら何かの行為に意識が集中し、
結果としてそれまで構築してきたかたちの一部の要素を変更する訳だから
完全にゲシュタルト崩壊をしてしまう。
田村正和さんに関するお話をどこかで聞いたのだが、
彼はやはり完璧に役柄になり切るそうだ。
だから彼にとって台詞は台詞ではないそうで、
だから台本に書かれている言葉一字一句間違わずに話さなくとも、
その台詞の「意味(趣旨)」を完全に理解していれば
台詞の正確さはあまり問題ないのだろう。
だから彼がNGを出すことは絶対に無いらしい。
共演者がNGを出した時にも彼は素には戻らないそうだ。
共演者に何度NGが出されようとも彼は役になり切ったまま待機しているということで、
これこそが「名優」といわれるゆえんなのだろう。
アガることはかたちを壊すことであり、
集中することはかたちを自然体で具現化することである。
私にはそう思える。