セルフレジ
ネットニュースの見出しに、「セルフレジ、行きつけ失う高齢者」というのがあった。一見して意味がわからなかったので記事を読んでみたところ、スーパーのセルフレジや飲食店のスマホからの注文、あるいはタブレット注文が増えた結果として、その使い方がわからない高齢者がそれまで行きつけだった店から足が遠のくという内容だった。
これはよくわかる。私は若い頃からそうだったので「高齢者だから」という理由には当たらないのだが、出張で地方に行って朝食を取る店を探しても、今ではほとんどの店がこういう形式になっていて結局入らずにコンビニでサンドイッチかおにぎりを買うこととなる。スターバックスのような場所も、なにを注文したらわからないから結果的には入らない。大きな理由は「面倒臭い」なのだが、もう一つの理由として「迷惑をかけたくない」もある。
こういう店には入らないので間違えているかもしれないのだが、数少ない経験から少し書いてみると、たとえば入り口に機械があってタッチパネルを操作して食券を購入する店なのでは、「普通のメニュー表を機械の横に置いて欲しい」と思う。紙のメニューなら、ペラペラと全部を眺めるのにそれほど時間はかからないのだが、機械になると全ページを見るのに一定の時間がかかる。次のページ、次のページといって、また戻ってとするのに時間がかかる。その間に後ろに列ができるのが申し訳ないわけだ。私は注文するのに時間がかかる方ではないと思っている。だから、すべてのメニューがパッと見られればそこからすぐに注文する。だから紙のメニューなら全体をチラッと見て「すみません、〇〇をください」で終わる。二つを比較するにしても、紙をパラパラとめくるだけで済む。何ページ離れていても指を挟んでおけばそれでいい。でも機械だとその間を行ったり来たりしなければならない。その機械が入り口に一台しかない場合、それを使うことが憚れる。実は、食券を購入する機械もあまり得意ではない。ゆっくり考える自分だけの時間を取れないと感じるからである。「これがいいかなあ、あ、こっちもいいなあ」って時間が私には大切なんだろうと思う。
結局のところ、他人との付き合いが苦手で自分の時間が好きだという「橋本の精神性」に落ちる話だと思うのだが、こういう人間も一定数はいると思う。ここに「高齢者」というくくりで思考停止される。「新しい」を好む人もいれば、「今まで」を好む人もいる。「新しい」=「正しい」、「今まで」=「古臭い」という短絡的な切り口に違和を感じる。いくら書いても、「負け犬の遠吠え」に聞こえるのだろうなぁ。