「そうぞう」
くだらない話で恐縮だが、「そうぞう」という言葉がおもしろいと感じる。
私はよく言うのだが、日本語と英語(あるいは他の言語)では森羅万象を切り取る方法が異なる。だから、日本語の単語(概念)を英語にできない場合が多いし、逆もまたしかりである。あるいは、日本語では一つの単語が示す範疇を英語にすれば複数の単語で表さなくてはならないこと、あるいはその逆、などはむしろ普通のことである。
日本語の場合、個人的に感じているだけなのだが、まずは「やまとことば」、すなわち「音」から成り立っていて、そこに外国語である漢字が入ってきている。だから、同じ発音をする単語の意味は潜在的にどこかで通じるものがあるような気がしている。以前にこの欄で議論した「はやい」もそうだし、今回の標題である「そうぞう」も同じ匂いがするように思う(この感覚は、明確な同音異義語に対するものとは本質的に異なる)。
「そうぞう」という音を耳にするとどういうイメージを持たれるだろうか。私は、「想像」と「創造」の両者の意味を併せ持つ概念を思い浮かべる。この感覚は私だけかも知れないので、これ以降の議論は意味のない話になるかも知れないが、想像と創造を併せ持つ概念が存在するとして考えてみよう。これを英語(カタカナ語)で表せば、イマジネーションとクリエーションとなるだろうか。とにかく、英語を話す人たちから見れば、両者はまったく異なる概念であり、決して合わさるものではないのではなかろうか。要するに、ある単語(固有名詞や専門用語ではなく、述語に属する単語)には核となる概念がある。いや、逆だな。「その概念」を「その単語」によって切り出していると考えている。だから日本語でものを考える場合と英語でものを考える場合には明確な差異が生じると思っている。こう考えたらおもしろい。「想像」と「創造」が創意工夫に通じる感覚から生まれるものは、日本人特有の「何か」を産み出すひとつの原動力になるのではないか。日本人が正しい日本語を使いこなせる重要性をさらに強く考えさせられる。