はやい?
日本語で「早い」と「速い」は同じ音ですが意味は違います。
ここで皆さんにお聞きしたいのですが
これらを全く違う意味であると感じていますか?
私にはそう感じられないのです。
言葉はもともと音として脳に入って来ますので
言葉の習得過程では音で何らかの概念を切り出す作業があるはずです。
その結果として早いと速いは同じ意味の根源的なニュアンスをもつ気がします。
だから、小学生などは漢字を書くときに間違いますよね。
漢字を知らない訳ではなく、それぞれの漢字を当てはめる時に迷いが出るから
漢字を書く時に一瞬考えてしまうのでしょうね。
明確に異なる意味であるなら間違う方が難しいでしょう。
英語ではfastとearlyという全く異なる言葉で表されますから
おそらく英語を話す人たちには全く異なる言葉なのでしょう。
だから英語を母国語とする人ででfastとearlyを迷うことは本質的にありえないはずです。
漢字は外来語ですよね。
やまとことばで「はやい」と表現している単語に相当する意味が
中国では「速」と「早」で分けて表されているのでこれらの漢字が当てられたのでしょうが、
日本人が「はやい」というたったひとつの言葉で
「速」と「早」の違いを使い分けていたとは私には思えないのです。
というか、「速」と「早」のふたつの概念がア・プリオリに存在しており
それらを言語によって分けて表現すると思えないのです。
むしろ、言語体系によって分けて考えられなければならなかったから
それらの概念が思考の中に成立したとしか思えない。
なんだか変なことを書いていますが本当に悩んでいるのですよ。
ことば論の中に「なま」の話を書きましたが同じことです。
「なま」と言われたら「生足」であろうが「生ビール」であろうが
「生魚」であろうが「生傷」であろうが、私には共通のニュアンスがあるのです。
私の感じ方って変ですか?
どなたか、教えてください!
何となくしか使い分けてる位ですねぇ。
『速い』は速度など『あの人は走るの速い』『このバイクは速い』など
『早い』速度以外の「はやい」で使うかなぁ?『早起き』『仕事が早い』『早口言葉』などなど…
手話では『速い』も『早い』も同じ動きなんですけどね。
『生足』『生魚』『生ビール』『生傷』…今、手話わかりません(-“-;)ここしばらく手話サークルに行けてないので今度サークルに行った時に聞いてみたいです。
早口かあ、なるほど気付かなかった。「早い」はearlyで「速い」はfastだと何となく考えていましたが、早口は「早」の漢字を当てているけれど、これを英語で表現すればfastですよね。なるほどね。ということは、英語の感覚と中国(日本?)人の感覚も異なるのでしょうね。おもしろい。
ちなみに、「口が回る」のは「速い」というように私は感じます。だから国語の点数が取れなかったのか・・・。
橋本さんのお考えに全く同感です!で、『古典大辞典』(小学館)で「はやい」を調べてみたら
【早し・速し】①速度が速いさま、②動作がすばやいさま、③風や音などが激しいさま、④香りなどがきついさま、⑤経過した時間や期間が短いこと、⑥(連用形を福祉的に用いて)以前、昔、すでに、驚いたことに、となっていました。
このように昔は一つの「はやい」という音で「速」と「早」の意味ばかりか風や音、香りついても形容していたようです。いつから漢字による使い分けが始まったかはわかりませんが、古語においても現代語においても「はやい」の反対語が「遅い」の一語しかないことを考えると、やはり「速」も「早」ももともとは一つの言葉だったように思います。ちなみに現代語の「はやい」には「早」「速」の他に「捷」「疾」という字も使えるそうです。
なお「早」という漢字はクヌギやハンノキの木の実の象形文字で、その外皮が黒い染料に用いられていたことから「早→黒色→朝の暗い時」という意味が生じたそうです。また「速」は「束」が丸印の枠で木の枝を束ねた様子を示したことから、「間のびしないよう間をつめていく」という意味が生じたそうです。
ところで私にとっては「はかる」の使い分けも難しく、『広辞苑』で調べてみたら、
《計・測・量》:数量を調べて知る
《図・計・測・量》:物事を推し考える
《諮・計》:良い悪いなどの見当をつける
《謀・計・図》:企てる
《謀》:欺く、だます、となっていました。
「謀」「諮」「図」の使い分けは何とかできそうですが、「測・計・量」は未だに迷います(ただ専門家によると「測・計・量」に関しては厳密な使い分けはないのだそうです)。ちなみに「はかる」の古義は「数量について目測的に見当をつける」ことで、ここから計量、推量、予測、企画、商議、欺瞞などといった意味が派生したようです。
いずれにしても「はやい」と「はかる」の二語を見ただけでも、「日本語の音の漢字化(視覚化、概念化、カテゴリー化)」には思った以上に幅があり、ちょっとこじつけですが「分類学」のようなものをイメージしてしまいました。
面白いですね。
英語で反対語を考えたらslowとlateですからこれまた全然違う認識になるのでしょうが、日本人には「遅い」一択ですね。
最後の「日本語の音の漢字化(視覚化、概念化、カテゴリー化)」についてですが、確かにそれはそうなのですが、私にとったらそれは日本語のカテゴリー化の大前提に中国語の意味の輸入があると思います。中国人は間違いなくそのように使い分け、逆の言い方をすれば、中国人は早いと速いを混同すること無く切り出す論理を持っているということだろうと思います。だから、ア・プリオリに存在する物事を言語が表現するのではなく、言語という論理体系によって切り出されたものこそが認識であり、その切り出し方が異なれば必然的に認識のされ方やそこから生じる論理は異なるのだろうということです。
「ことば論」に、英語の完了形を時制の表現だとは思えないみたいなことを書きました。本論からずれるのでそれ以上のことは書きませんでしたが、重要なことは、日本語的に考えたら単なる現在形や過去形である表現を使って英米人は時制を表現しているということで、だからこそ、英米人が感じる時間の流れは日本人とは同じはずはないということを言いたかったのです。時間の流れがア・プリオリに存在し、それを表現する方法が言語によって異なるのでは決してなく、言語によって切り出されるのもに意味を与え、それを認識することによって時間を意識するということだろうと感じます。間違っているのかもしれませんが、この感覚は、今回のコラムの本題である漢字(視覚言語)と平仮名(表音文字としてみれば聴覚言語)の違いにも同じことが見えてくるように感じます。
均質で絶対的なニュートンの時間感覚に毒されているのでなかなか意識しにくいですが、本来時間の流れというのはもっと多様で相対的で個人的なものなのでしょうね。
ところで「言語の最下位要素」という観点から「漢字(表意文字)」と「かな(表音文字)」についてそれぞれの基本的な性格について調べてみようと思ったのですが、考えがかなり甘ったようで、すでに入口の時点でつまずいています。
まず漢字についてですが、私には言語学、音声学の知識がないので、今回参照した解説(『世界大百科事典』(平凡社))の30%ぐらいしか理解していないのですが、おそらくポイントは以下の2点にあると思います。
①漢字は「表意」文字ではなくむしろ「表語」文字である。
②漢字にも階層性がある。
で、①に関係する項目の要点だけを列挙すると、
(1) 表音文字は1字がある音を表すのに対して、表意文字は1字がある概念ideaを表す。例えば〈日〉は太陽の概念を表しているが、厳密に言えば〈日〉は直接太陽の概念を表しているというより中国語の単語‘ri’または日本語の単語‘hi’を表していると考えるべき。なぜなら〈鯉〉のような字はこの文字自身からはただ〈魚〉に関係しているということがいえるだけで表意はすこぶる不完全だから。
(2) 英字のmは音素/m/を表せるがそれ自身ではいかなる語も示さない。これに対し漢字の〈人〉はいかなる音素も表せないがそれ自身で〈人〉‘ren’という語全体を示す。つまり漢字は表音的にはきわめて非能率だが各字が各語を直接表しているため、1字1字が個性を持っている。
(3) 漢字の1字1語1音節という原則は、中国語の単音節・無構造・孤立語という性格に基づく。(言語の形態論的分類として「孤立語・屈折語・膠着語」の区別があるそうです。「孤立語」:単語に語形変化がなく文中の語順や前置詞などの助詞により文法的機能を表す言語。「屈折語」:名詞の性・数・格、動詞の時制などを表すために形を変える言語。印欧語など。「膠着語」:一つの文法的機能を表す接辞が語幹にゆるく接合し、その切れ目が比較的明確で容易に分析できる言語。日本語、ウラル語、アルタイ語など。)
(4) 漢字は語の音韻構造を分析的に示すことがなかったため、語の音韻形態を示すことが無効もしくは不完全になり、その結果漢字は音から遊離してしまった。そのため語の音韻変化が生じてもその変化から超越して固定するに至り、漢字で綴られる文語が視覚的言語として2000年近く使用されるという特異な現象を示している。
解説にはもっと詳しい内容が記載されていたのですが、私自身とても消化できるレベルにはないので抽象的な要点だけになってしまいましたが、いずれにしても同じ古代文字の象形文字や楔形文字が古代文明とともに消えて行ったのに対し、漢字が様々な変化を吸収しながら今なお途絶えることなく続いていることはやはりとてもおもしろいです。こうした漢字の「かたち」を探っていって何か見えてきたらいいのですが…。なお②についてはまた後日まとめたいと思っています。
う〜ん、これにはまったくコメント出来ないなあ・・・。能力をはるかに超えてるわ。読んでる端から内容がゲシュタルト崩壊していく・・・・。
誰か、何かコメントしてください!!アスベ〜!
やはり内容をもっと消化して具体例を示しながらコメントしなければいけないですよね。失礼しました。いずれにしても「日本語」という論理体系で使われている「漢字」と「中国語」という論理体系で使われている「漢字」との違いを見ていくことで、漢字の普遍性みたいなものが見えてくるような気がしました。「漢字とかな」の問題は勉強することがたくさんありそうですが、楽しみながらゆっくり考えていきたいと思っています。
ところで『きいろとピンク』、読みました。思わず橋本さんが作者かと思ってしまいました。それにしてもこれはどういった読者を対象としているのでしょうか?やはり子供なのでしょうか?(「子供にこんな深い内容がわかるはずがない」という考え自体すれているのかもしれませんが…。)ちなみに橋本さんはこの本をどこで知ったのですか?
私は、職業病だろうと思うのですが、どんな話を読んでもそれとゲノム(生きもの)を結びつけて考える傾向にあります。ソシュール辺りもずっと進化を思い浮かべながら読んでいましたし、比較言語学が比較生物学として頭の中に入ってくる有り様でした。ちょっと病気ですね。ただ、本当に新しい思想が突然現れるのは天才の頭の中だけで、それ以外の科学的発見などは異分野の価値観を取り込むことによってもたらされると思っていますので、構造論を生物学に取り入れることは間違っていないと思います。気をつけなければならないことは、唯構造論にならないことでしょう。今までも構造主義生物学の波は何度か訪れましたが、いつもどこかに立ち消えになった感は否めません。その大きな原因は「分子生物学の徹底排除」にあると私は思っています。構造論と分子生物学を敵対させることは何ももたらさないってことでしょう。
「きいろとピンク」、なかなか深いでしょう?これは本屋で絵本を眺めている時たまたま偶然に見つけました・・・ってのは全く嘘で、北村薫さん(だったと思う)が編集したアンソロジーで紹介されていたのです。そのアンソロジーでは白黒だったので原本を見たくなって本屋巡りをしました。で、もちろん即購入です。話題作りには事欠かない本です。
「速・早(はやい)」について、それぞれ漢字の成り立ちを探れば何かヒントが見つかるかと思い、調べてみました。
「早」はそもそも形に意味は無く、音を借りているだけのようです。調べてみると「はやい」は現在は読みとしては使われなくなっていますが、以下のようなものもありました。
えぇ、余計にこんがらがっただけです。個人的には逸の字の成り立ちが素敵です。
以上、白川静氏著「常用字解」よりです。より専門的な「字統」、「字訓」、「字通」を読めば違いがはっきりするかもしれませんが…。
中国在住の友人に「早い」と「速い」について聞いてみました。
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中国語の漢字では「早」「快」になるねん。
もちろん発音も違うから使い分けは明確。
意味ももちろん、時間と動作のスピードのこと。
日本語だと対義語はどちらも「遅い」になるけど、
中国語では「晩」と「慢」になるねん。
日本語では結構あいまいなんかねー、
人を急かす時の「はやく!」とかも
「速く!」でも「早く!」でもいいような気がするしなあ。
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とのことでした。