日本人はコオロギや鈴虫などの虫が奏でる音を愛でる。だから「音」ではなく「声」と表現もする。しかし西洋人はその他の雑音・騒音と同じカテゴリーで認識するらしい。これは「認識」の話なので脳がどう感じるかということである。 脳のどの領域でその情報を処理しているのかということである。脳科学的には西洋人はただの「音」として認識するのに対して、日本人は言語中枢で認識しているらしい。

似たような話で、表音文字を用いる西洋言語と表意文字を用いる中国語を読む時に用いられる脳の領域が異なるとのこと。だから、脳梗塞などによって失読症になった場合にも、漢字を読めなくなってもアルファベットは読めるし、逆にアルファベットを読めない脳機能欠損の患者が漢字は読めるということであるある。で、日本語は表音文字であるひらがな・カタカナと表意文字である感じの両方を用いているため、日本人の失読症の場合機能不全となった脳の領域によって漢字が読めない症状とひらがなカタカナが読めない症状のふた通り(もしかしたらもっと多いかもしれないが)があると聞く。

数を数える時にも音で数える人と、脳の中に数字が書かれているカードを並べながら数える人がいるそうだし、人の名前を覚える(思い出す九のも音で思い出す人と、漢字で思い出す人がいるという。その情報を脳がどの種類の情報として認識するかで、その捉え方そのものが異なるというのは非常に興味深いなといつも思う。