親日

このところ周辺の国との関係がぎくしゃくしていて

日本は世界的に嫌われているという論評をする政党もあるようだが、

実は世界には親日国が多いといわれている。

親日国が多い理由は様々であり、

たとえばトルコの軍艦が和歌山沖で座礁したときの日本人の行為や

杉原千畝さんなどの有名な例はたくさんあるだろう。

 

それらとは少し違う理由の1つに、日本を訪問した外国人がもつ好印象がある。

日本人の美徳には枚挙に限りがないように思うのだが、

たとえばその正直さや礼節を重んじた態度などは

個人主義の外国人から見ればまったく異質の人間社会だと映ったのではないだろうか。

もちろん昨年話題になった言葉「おもてなしの精神」などは、

ただただお客様に喜んでお帰りいただきたい、

それこそが私たちの喜びであるという、

そこに西洋的な論理などでは理解できない美しい精神構造があるから生まれた気持ちでは無いだろうか。

滅私奉公なども、理屈で考えて理解できるものではないだろう。

ただただ日本人の美徳を無抜きにしては語れない精神構造だろうと思う。

これまでに多くの西洋人が来日しているが、

その多くが、西洋文明とは比較できない美徳の社会精神構造を見いだしそれらに感嘆している、と

渡辺京二の『逝きし世の面影』にある。

 

ここから先は、この書籍とある新聞記事からの受け売りになるが少し紹介させていただきたい。

たとえば、フランシスコ・ザビエルは「この国はわが魂のよろこびだ」と日本をたたえているそうだ。

おそらく、日本国民と同時に、日本に育まれた精神文化を、そして我が祖国をたたえてくれているのだろう。

エドワード・モースなどは、「鍵のない部屋に金品を置いておいて絶対に盗まれない」と絶賛しているが、

これは近年ではどうだろうか?

私たちはこの言葉を自信を持って繰り返すことができるんだろうか?

アルバート・アインシュタインは、

「私は、地球上にこのように謙虚にして品位ある国民が存在することに深い感銘を受けた」。

「私は世界各地を旅行してきたが、いまだかつて、このような気持ちのよい国民に出会ったことがない」。

「日本の自然や芸術は美しく、深い親しみを覚える」といった。

もちろん彼は死ぬまで親日家であった。

訪日の理由を尋ねられた喜劇王のチャーリー・チャップリンは、

「日本人は皆、正直で親切だ。何をやるに際しても信頼できる」。

「そのため、日本人に非常に好感を持つようになった」。

「やがて、こんな素晴らしい人々をつくり出している日本という国に行ってみたくなった」と答えたそうだ。

 

私はこのように諸外国の方々から思われている日本人を誇りに思う。

そこには理屈など存在しない。

ただただ思いやりとおかげさまの心が貫いているだけだろう。

少し己に目を移してみると、はたして諸先輩方が示した礼節を持っているのだろうかとはなはだ疑問に感じる。

日本古来の美徳を受け継いでいっているのだろうかと考えただけで恐ろしくなる。

西洋の価値観を崇め奉り、自国の文化を否定する、

まあ戦争で負けるということはそういうことなのかもしれないが、

それにしても我ら自身やその先輩方から受け継がれてきたものを尊べないことは情けない。

 

精神文化を無くしてしまえば二度と取り戻すことはできない。

世界の人々から尊敬される我が祖国を、我が美徳をこのまま無くしてはならない。

まだ間に合う、そう心から思う。