脊椎動物の進化と神経堤の獲得
この話題に関してはすでに何度か書いているので
詳細はそちらを見ていただきたいのだが、
発生の砂時計モデルを見た時に面白いなあと思うことがある。
脊椎動物と原索動物との決定的な違いは神経堤を持っているかどうかと言って過言ではない。
具体的に言えば、神経堤からなる「新しい頭部」と有するか否かが
脊椎動物であるか否かと同義であるということだ。
脊椎動物の体づくりを見ていると、
種によって卵の大きさは極端に異なり、
卵割の様式や形態形成運動など大きく異なっているものの、
咽頭胚と呼ばれる時期になると互いに共通の形をとる。
その後、またそれぞれの種によって異なる発生様式をとり大きさも形も異なる成体となる。
これが世に言う「発生の砂時計モデル」である。
この砂時計のくびれに相当する時期、
すなわち「咽頭胚」という時期は神経堤細胞が移動して頭部を作り上げた時期に等しく、
脊椎動物を通じてこの形だけが似ているということはきわめて示唆的であろう。
なお、進化の研究を外からボーッと見ていると、
形態やDNA配列の違い、あるいはタンパク質や酵素の違いなどから、
いわゆる系統樹というものを描いて「○○と××は近縁である」といった流れがあると思う。
もう一つは種がいつ・どのように分岐したのかという「種分化」の流れもあるようだ。
もちろんそれ以外の話もたくさんあるのだろう。
ただ、こと橋本に限ったら、これらには今のところ全く興味はない。
種の違いなんて微々たるものだという感想しか持てないのだ。
私はかたちが面白くて発生学を研究している。
だから、たとえば我々脊索動物に最も近いのがウニ・ヒトデである事実に、
どのようにこれだけのかたちの違いが生じたのか?に興味がある。
同じ脊索動物であっても、ホヤなど原索動物と我々脊椎動物の間にも
大きなかたちの違いがある。
この違いが生じた仕組みを知りたい。
だから、何と何が近縁であろうが、一義的にはどうでも良いと思ってしまう。
でも、この興味を満たすためにはまずしっかりとした系統樹が描かれていなければならない。
何と何が近縁であるか分かっていなければ比較そのものに意味がなくなってしまう。
やはり学問はつながっているのだろうと
こんな小さなところから思ってしまうのである。
ところで明日,研究館で進化に関する催し物が開かれます。
午後のひと時を進化について語ろうということです。
私は発生学者なので進化を語ることなどできませんが、
このブログにダラダラ書いていることなど語り合いたいことはいろいろとあります。
ポスターを張り出してその前にたっていますので、
お暇で多少の興味がある方はぜひお越し下さい。
最近のイモリとツメガエルから見えてきた共通性がなかなか興味深くて、
おそらくこれまで誰もそういう見方をしたことがなかったのではないとも感じますし、
この両生類での共通性からトリの発生様式にも似たところがあるのではないかと感じています。
物理的に余裕があればこれもお話しいたしましょう。
12月15日(土曜)の昼、15:10からの第2部討論会が始まる直前まで、お話を拝聴した者です。
神経堤とか難しいお話でしたけど、素人の私にも丁寧に教えて下さってありがとうございました。
ブログをやられているとおっしゃっていたので、何とか探して
ここに、やっとたどりつきました。
すごく深い話ばかりなんですね。私にとっては全く新しい世界なので、圧倒されています。
高槻というと私にとっては阪急側で飲み会の店を探す場所というイメージが強かったんですが、
JR側の商店街を抜けると別世界が開けているとは知りませんでした。
こんにちは。土曜日はお越しいただきありがとうございました。過去のブログをちらっと見ていただけるとすぐにご理解いただけると思いますが、私の話は変というか、あまり私のような視点で物事を見る方がいらっしゃらないようで、ごく一部に変わった人気(?)があります。基本は一般に構造論と言われている考え方で、それを私なりに「かたち論」としてまとめています。刊行物の一番下に置いています(ダウンロードできます)ので、興味があればご一読ください。まあ、できれば真っ当な進化の話を知った上で私のようなバッタモノに触れる方が道を誤らないような気もしますが、バッタモノから真っ当な道へ更生するってのもひとつの道ではありそうです・・・・・ね?
お酒はほぼ毎日飲んでいますが梅田で飲むことが多く高槻はよく知りません。研究館の正門を出たところにある小さな中華料理屋さん(尚興園)で飲みながら読書するくらいかな?先日はあまりに寒かったので阪急近くの「がんこ寿司」に行っててっちりを食べましたが、JRを越えることは滅多にありません。
またお越し下さい。
「かたち論」を拝読しました。
19ページで、
「「かたち」を考えるには時間を排除しなければならない。」
というあたりは私の理解力が及ばず、時間を排除すべき理由がよく分かりませんでしたが、
8ページで
「何かであるということは、それ以外のものではないということに等しい。」
というあたりの説明は、面白く拝読しました。
そのあたりの説明を使えば、
「『新しい頭部』を持たずにホヤのような形状になってしまうことを抑制したものが脊椎動物」
あるいは
「『新しい頭部』を持つことを抑制したものが原索動物」
となりますね。
これは、土曜日にお聞きした説明ともつながっていると思いました。
とても面白そうな分野なんですね。
拙い文章をお読みいただきありがとうございます。
かたちと時間の問題は実際には深いのですが、この文章でお伝えしたかったことは大して深くありません。おそらくいまいさんは橋本を買いかぶって深読みして下さっているのでしょう。大ざっぱに言えばかたちは写真に撮ることで、あるいは固定をすることで観察するから時間軸は必要ではないのに対し、「かたち」の対立概念としての「はたらき」は一定時間を経たときの変化を指す、これはライプニッツ的に言えば「かたちの変化が全くなければ、そこに時間経過も存在しない」となりますが、短絡的に「働き」に対して「かたち」を考える場合には時間概念を排除する必要があるだろうと言いたかったことです。ブログのどこかでも書きましたが、時間に関しては厳密に議論をするともっと複雑な論理展開が必要となるはずです。「かたち」「ゲノム」「言語」を考えることは面白くて、このブログにもたくさん書いています。眠れないときなど睡眠薬代わりにお読みいただければぐっすりです。
まあ、純粋に登場した時間的な経緯を見ても、「『新しい頭部』を持つことを抑制したものが原索動物」というのはちょっと苦しいかなと思います。ただし、この論理で脊椎動物の「新しい頭部」の形成を阻害してホヤのようなものを作られるかという実験的試み(思考実験)は面白いかなとも思います。逆説的な証明ですね。それはまさしくいまいさんが「『新しい頭部』を持たずにホヤのような形状になってしまうことを抑制したものが脊椎動物」と書かれていることに通じるようにも思います。私の立ち位置は「面白くなければ科学なんてやっている意味はない」ですので、真面目な研究にも必ず妄想を伴わせます。夢想・妄想することで研究に夢が加わってくるってことです。