勉強させていただきます
大学院の先輩の話していたこと。
シンポジウムとか研究会とかで、
参加者が「今日は勉強させていただきます」ということがあるが、
この言葉をその先輩は嫌っていた。
その理由は、たとえば国会議員の選挙に当選した時に、
「これから一つずつ勉強して・・・」といわれた時に抱く違和感に似ていると思う。
国会議員はプロであるべきで、
選ばれたらすぐに仕事をしてもらわなくては困る。
それを,給料をもらいながら「勉強」されるのなら、
まず勉強し終わってから立候補してほしいと思う。
だから、研究会は参加者が議論をして新しい何かを探る場なのに、
そこに「勉強しにくるとは不届きだ!」って感じなのだろう。
まあ、日本語で「勉強する」といえば何となく勤勉な印象になるし、
その言葉をいっておけば許されるような感覚があるので、
それほど深い意味はなく、何となく謙遜している感じでこういう言葉を使うのだろう。
現在行なわれているオリンピックに関する記事の中で、
「練習不足を痛感した」という言葉が載っていた。
私は「勉強〜〜」ってのはそれほど気にならないのだが、
この「練習不足」にはちょっと引っかかった。
「実力が足りなかった」のならまだ分かるが、
「練習不足」は自分の努力で補える。
それをゲームのあとで平気でいえる神経が分からない。
徹底的に練習してきて、それでも勝てなかったというのが真の姿だろうに、
「練習して来なかった」と言っているように聞こえる言葉が
普通に口をついて出ることが理解できない。
もちろん、新聞などの記事は一部を切り取っているから、
全体を聞けば全く別の印象になるのかもしれない。
それでも、この発言は私には受け入れられないなあ。