思考停止

人間の思考って気を抜くと停止するように思う。

まあいわゆる思い込みってヤツのことである。

なんだかそれっぽい説明がついた段階で

あるいは直感的にそれっぽいと思った瞬間に、

ことの本質を考えなくなってしまうと感じる。

 

以前、「発生の砂時計モデル」の話を書いた時に、

これは「砂時計型」に切り取るのではなく

「壷型」に切り取る方が理に適っていると書いた。

簡単にいうと、卵(受精卵)の段階ですでにかなりの位置情報を持っているものと、

受精後の発生過程で位置情報を作っていくものを比べた時に、

前者は、卵形成過程でもパターン形成していると見ることができるわけで、

それらを時間軸において比較する時に

受精卵の段階をスタートラインにおくことには無理があるということだ。

ある種では卵形成時から発生(パターン形成)は進行しており、

別の種では受精後に発生(パターン形成)は進行するというわけである。

こう考えると、少なくとも脊椎動物では咽頭胚を必ず作らなければならないように見えるため、

咽頭胚を基準にして、そこから配偶子形成・受精・初期発生過程をへて

咽頭胚へと戻るのを1サイクルとする方が理に適っているのではないかということである。

で、誤解しないで頂きたいのだが、ここで言いたいのは「壷モデル」の主張ではない。

われわれが、「受精卵」と言った瞬間に無意識・無批判にそれを同一段階だと思って

それ以上の思考を停止してしまったということである。

 

 

実はこのような見方をすればあらたに分かることはたくさんある。

という具合に新しいモデルを作っているのだが、

このような(ひねくれた)考えを持つ私ですら、

新しいモデルを作る時にも知らず知らずのうちに思考停止をしていることに気付く。

古いデータをそのまま解釈すれば自明のことですら、

そこに付けられた解釈を真に受け、真実に目が向かないようになっている。

その解釈では大きな矛盾が生じることであっても、

昔から教科書に書かれているという事実を「常識」として受け入れ、

歪んだ眼鏡で物事を見てしまう傾向がどうしても生じる。

D. Byrneは「事実は真実をねじ曲げる」と言った。

なんだかよくわかるような気がする。

年が明けてから毎日が驚きの連続なのだ。

そして、自分がいかにねじ曲がったものの見方をしてきたか

毎日のように思い知らされている。