いさご山

私が育った場所は神戸市内の山の近く、

布引(ぬのびき)の滝まで徒歩10分あまりで行けるくらいのところです。

小学校の頃に新神戸駅ができ、その後には布引ハーブ園などもできたので、

神戸観光にお越しになる方には多少はご理解いただける場所かも知れません。

 

私の卒業した雲中(うんちゅう)小学校が由緒正しいらしいことは

50歳に手が届こうかという私が第百回卒業生だったという事実からも伺えます。

育った家(今も両親が暮らしていますが)の住所は「熊内(くもち)町」といいます。

小学校の名前とこの町名は元々つながりがあると聞いたことがあります。

元々千年以上前から熊内という地名はありました。

「くもち→くまうち→くもうち→くものなか→くもなか→雲中」

と吉本新喜劇のような変り方をしたみたいな話を

小さいころにですが耳にしたことはあります。

ただし、非常に小さい頃のうろ覚えの記憶なので定かではありません。

 

さて、布引の滝は伊勢物語(平安朝前期)に取り上げられています。

布引の滝見物にやって来た在原業平が

「いざ、この山の上にありといふ布引の滝見にのぼらん」 と言ったとの記述です。

この「いざ、この山」が転じて「いさご山」となり、それが現在も地名として残っております。

雲中小学校の校歌にも「ちぬの海(大阪湾の古い呼び名)」とともに「いさご山」の歌詞が出てきます。

ところで、伊勢物語のこのところは 「いざ、この山」 と読まないで 「いさごの山」 とよむ説があり、

元々が「いさごの山」とされていたのか、「いざ、この山」が後々に「いさごの山」に変わったのか、

まあ、どちらにしても伊勢物語の同じ場面が語源ではありますが、

二つの説があるということになるわけです。

 

家から歩いて10分あまりという場所にありますので、

小さい頃からこの場所を中心に六甲山系を歩きました。

自然への興味から人は大きく海派と山派に分かれるという人がいますが、

私は間違いなく山派であり、南の島にまったく興味を持てません。

現在も須磨という土地に住んでいるにもかかわらず海に全く関心がない・・・。

まあ、この個人的な山への興味も私の育ったところに端を発するのは間違いありません。

高校時代に、夜中に懐中電灯ひとつもって

布引きから摩耶山・六甲山頂を経て宝塚へと30キロの道を歩いたのも

この地に暮らしていたからこそなせる業でしょうね。

今でも、精神的に疲れてくると無性に山に行きたくなります。

川のせせらぎを聞きながら大きな岩上でぼーっとすると癒されます。

大学時代も講義の休講などで時間が空くと車で山に向かいました。

ただただ何時間も山並みを眺めているだけでしたが、

こころの中まで洗われるような感覚でした。

海派の人はこの感覚を海で感じているのでしょうね。