リーダーとは

問題が生じた時に、その先の先まで読んで行動しなければならない。

特に最悪の状況を想定し、

その場合にどう対処するのかについて考えるのがリーダーの役目だろう。

各論的な細々(こまごま)としたことは采配を振るわなくても構わない。

大所高所に立って全体の行き着く先を見極めるということだと思う。

 

しかし、どうも日本人は(日本人を一般化していいものか分からないが)、

問題を目の前にしたら目をつむってしまうようだ。

よく「楽観的」と称される行動は、実は楽観とは違うのではないかと思う。

目の前で現実に起こっている状況から目をそらすということは、

「何も問題は起こっていない」となるだろうし、

「今の問題は大した問題ではない。すぐに終息する」となるはずである。

これが外部から見れば「楽観的」に見えるだけの話で、

端的に言って当事者意識の欠如以外の何物でもない。

 

これは、現在起こっている原発のようにすぐに命に関わる問題として

切羽詰まっており、一般国民にも分かりやすいまさにこの瞬間の問題だからこそ、

このように表面化したわけだが、

これも国民性なのか、例えば国の借金の問題や年金の問題など、

絶対にとんでもない問題が待ち構えていることが理屈では分かっていることであっても、

首筋に切っ先を突きつけられない限り、

どうも見なかったことにする傾向が強いと感じる。

まあ、これまでのこのツケが今まさに返ってきている訳で、

その意味では「想定内」の出来事だと言っても言い過ぎではあるまい。

この思考過程(?)は原発の想定値を決める際にも見える。

建築する為にこの程度の想定値にしようと考えて、

それ以上の災害からは目をつむる、

というか、そんな災害など絶対に来ないと決めつけて勝手に安心する。

同じ構造ではなかろうか?

 

リーダーは最終決定権を持つからこそ絶対的な責任を負う。

責任とは、切羽詰まってどうしようもなくなった時に職を放棄することとは違う。

「責任をとって辞めます」ってのはリーダーの責任の取り方ではないと思う。

無責任に状況を混乱させたあげく、

二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなった時に「辞めます」ではダメだ。

これは「辞める」という行動を取る人物についての議論ではなく、

危機管理意識もないままに場当たり的な行動に終始し、

現場や全体を混乱させるような人物についての議論であり、

そのレベルの人をリーダーとしてもし現在かついでいるのであれば

問題が生じる前に、即刻、辞めてもらわなければならないという話である。

再度言うが、すべての責任はリーダーが負うべきである。

ある人が「東電を非難するのは菅政権のスケープゴートとしてであろう」と書いていた。

たぶん、今回の問題はそれほどの計算すらなく、

単にかんしゃくを起こしただけのことだろうとは思うが、

最終的には、いや現時点ですら、原発の問題は東電の問題であるかのような言動が

政府やマスコミの論調に見え隠れする。

もちろんよく言われるところの東電の隠蔽体質や作業ミス、

あるいは無計画さなどが事実であれば当然非難されるべき問題だろうが、

東電は八百屋や電気屋ではない。

ましてや原発事業は国家プロジェクトであるはずだ。

国家の承認がなければ一歩も前に進められないはずである。

したがって、このような災害に結果として対応できないものを認めたのは

すべからく日本国の責任なのだということは間違いない。

 

私は、特にリーダー論を考える上では民主主義を決して最善だとは思っていない。

戦後教育の賜物なのか、民主的であり透明性があることが至高であるとの雰囲気があるが、

ことリーダーに関していえば、一人の優れた人物が独善的に導くのが最も優れていると考える。

高度な判断を迫られた場合にはその個人の能力にすべて依存せざるを得ない。

あるいは、すべての情報を民衆が知ることで全体として害になることもあり得る。

それは、たとえ民主主義社会であっても選ばれたリーダーは独裁者にも似た権力を持ち、

そして最終的な責任を有するという意味では同じなのだが、

どうも、少なくとも日本の民主主義で選ばれたリーダー(達)は何か違うように思う。

それが何か具体的に指摘できないところが歯がゆいのだが、

おそらくそれは日本人の国家観にも結びつく議論なのだろうと思う。

 

とにかく、現実から目を背け、起こっている状況を正面から見ずに、

何の根拠もなく「これ以上悪くはならない」と考え続ける態度は

リーダーとしてとってはならない。

震災直後に今の原発の状況(あるいはそれ以上悪い状況)を想定して対処していれば

これほどのことにはならなかったと感じるのは私ばかりではあるまい。

一ヶ月の時間をかけたらいくらでも対応があったはずだ。

それは、諸外国から徹底的に非難されていることでもある。

素人が考えても、あれだけ放水を続けていれば水が溢れ出すことは予想できる。

それを貯める場所がないから海に流すって、この一ヶ月間何をしてきたのか?

 

このように、危機管理意識(いや管理という言葉を使うのは虚しい、

むしろ単なる危機意識だな。自分が殺されかかっているのに、

「これは現実ではない」と目をつぶっているようなものだ)

をもたないトップをかついでいる状況をどう考えたらいいのだろう。

ただ、何度も書いているが、この前兆は今までに何度もあった。

年金・カンポの宿・赤字国債・無駄遣い・領土・・・・。

医療費の改正だって、何が「改正」だ!

医療費が高騰してきたからそれに合わせる為につじつまを合わせただけじゃないか。

だから、当然のことながら弱いところにしわ寄せがいく。

医者不足だってあんなことをしたらこうなるって最初から分かっていなくちゃおかしい。

その瞬間のつじつま合わせに終始し、

その後には何も問題は起こらないと信じて現実からは目をつむる。

そして問題が起こった時には責任者はそこにはいない。

何を見ても相同構造だよね。

まあ、結果としてこれらを認めてきたのも我々なのだから

現状は甘んじて受け入れるしかないだろう。

 

いま私たちがしなければならないことは日本国を復興させること。

開き直って東北旅行に行こう。

東北の特産品を買おう。

いや、東北にこだわらず、とにかく消費をして景気をあげよう。

そのあとには、正しい政治をゼロから作らなくてはならない。

それは私たちにしかできないことだろうから。