節電
生命誌研究館がある医薬総合研究所の敷地で夜間照明を消すこととなった。
ただでさえ、ほんのりと明るい程度の照明だったのだが、
それもなくなり、本当に真っ暗になってしまった。
だが意味があるのか個人的にはかなり疑問である。
というのも、関西と関東では周波数が異なる為に
電気を関東に供給する為には途中の周波数変換施設で周波数を変えなければならず、
その容量には限りがある為に関西での節電があまり意味をもたないからだ。
それは、関西電力のホームページでも述べられている。
それに、一時期の節電意識の高まりでコンビニの24時間営業を問題視することがあったが、
これも、夜間の余剰電力を用いているので温暖化対策には効果がないということで、
野球場のように煌煌と明かりを照らすのならともかくも
灯っていてもそれほど明るくないような照明を消すことの意味が分からない上に
防犯や安全の対策としてはむしろ大きな問題ではないかとも感じる。
電気は基本的には蓄えることができない。
だから、夜間の電力も誰も使わなくてもそのまま消えるはずである。
エネルギーを用いて発電をし流れている電気自体は、
いくら節電をしても、財布には効果はあるだろうが環境に対しては効果はないだろう。
誰も使わない電力を使用することはむしろいいことであろうと感じる。
しかも、夜間電力は昼間よりもかなり安いし・・・。
大きな企業が率先して節電を呼びかけること自体は決して間違っているとは思わない。
私が問題だと感じていることは、地震とからめた節電に外から見えることだろう。
「意味のない節電して、JTさん、あほとちゃう?」って思われないか?ってこと。
ただ、一般には関西地域での節電も関東の為になるという誤解があることを鑑みると、
たとえ誤解であってもそう考える人が多いと思われる場合には、
夜間照明を落とすという選択肢はあるのかもしれない。
なぜなら、JTのような大きな企業が敷地を照らしていることに
「この非常時に」と反感を覚える人が多くいる可能性が捨てきれない為だ。
科学的な計算では計り知ることのできない難しい問題があるのだろうと感じてしまう。
以下は蛇足。
「ぎえんきん」は義捐金と書くそうです。
で、義捐とは「慈善や被災者救済などの趣旨で、金銭や品物を差し出すこと」だそうです。
アメリカに住んでいた時にロサンゼルス地震がありました。
その時にも「避難」を意味する英語evacuationを覚えました。
今回もひとつ新しい知識が増えました。