一般論化

生きものの多様さに心を打たれたとき、

西洋の人は神の存在を意識し、

私たちは自然に育まれていることを意識するのだと思います。

 

などと、私はよく書きます。

私自身がこの手の文章を読んで感じるのは

「西洋人」を十把一絡げに一般論化することへの違和感です。

それを承知でなぜこのような文章を書くのかと言えば、

議論の方向が西洋人に向いたものではなく

日本人に向いたものだからだと自分なりに考えています。

いつもいう通り、何かを意味付けする場合には比較対象が必要である。

かの、構造主義者から批判の対象となる分子生物学ですら

分子ひとつを取り出して論じることはしません。

しないというよりはできないのだろうと思います。

 

余談ですが、構造主義者が分子生物学を敵対した方法論は

私の理解がおかしいのかも知れませんが、

個人的には間違っていると思っています。

分子生物学のここまでの知見が基本的には細胞の中で閉じるので

それを思考の方法論として例えば発生を論じることが無理なのであって、

分子生物学が分子間の相互作用を理解する為に用いられる限り、

それはすなわち構造論的な考え方に他ならず、

よって、その思考に何ら問題はないと思うのです。

問題は「階層性」を考慮せず、

何でも遺伝子で論じようとする態度がおかしいと思えるのです。

 

話がそれましたね。

なので、私が西洋人と表現しているのは

日本人を相対化する為の方法である訳です。

もちろん「日本人」を一般論化することも

ある意味では愚であろうとは認識していますが、

例外をあげつらっていけば何の議論もできないので、

ひとつのたたき台として書いているに過ぎません。

気に触った方にはどうかお許しを頂きたいと思います。

 

しかし、分子生物学会は私のような人間には面白くないなあ。