危機管理能力?

数日前の新聞に面白い記事が載っていた。

長崎県議会議員の政務調査費の使途についての話である。

A議員は昨年4月、プロボクシングのチケットと、そのための交通費や宿泊費を合わせて計5万5000円を政務調査費から支出。「ボクシングの世界は厳しい。生死をかけた戦いを間近に見て、政治の世界に生きる自分を戒めようと思った」と釈明。B議員は、iPhoneやiPodの使い方を紹介する雑誌など7冊(計9086円)を政調費で購入。この議員は「最新の端末の機能を知ることは、政策のヒントにもなる。人によって見方が異なるかもしれないが、正当な目的を持って購入した」と語った。

何が言いたいのかと言えば、これまた数日前に書いた事だが、このような言い訳が理屈として通るはずはないのに、それを通してしまう日本の国民性のことである。ボクシングを見る事で自分を戒めるなんて戯言が通るなら、スポーツ観戦はおろか、どのようなゲームの観戦ですらまったく同じ論理が成立するし、もっと言えばラスベガスのカジノで遊んでも「人生を賭けた勝負事にさらされる事で政治人生を見つめ直す」なんて理屈すら同次元で成立する。まあ、なんだって通ってしまう。また、iPodの使い方を知る事で政策のヒントになるという屁理屈を認めてしまえば、コンピュータゲームで遊ぼうが許されてしまうし、どんな無茶苦茶な屁理屈だって認めなければならない。だから、たぶん誰もが小さな怒りを感じ、あるいはバカらしさを覚える筋の通らない言い分である事は間違いないであろう。であるにも関わらずこれらの議員はおそらく次の選挙でも落選しないのではないか。なぜなら、落選すると思うならこんなバカな言い訳は絶対にしない。要するに有権者をなめているのである。そしてなめられている有権者は、なめられている事に気付かずにいる。このようななれ合いの関係に危機管理意識が育つとは思えない。政治の質は国民の質に等しいと誰かが言ったそうだが、納得できるような気がする。