意識
思考や思索などに関しては、
あるいはそれに基づく考え方の独自性や偏向に関しても、
それらを形づくる論理体系としての「関係性」で何か言えるのかもしれない。
しかし、脳の中の論理(あるいは言語体系)に裏打ちされた「意識」がわからない。
自分が死ねば、自分の論理や思考・思索が霧散することは分かる。
もちろん意識も消滅するであろう。
それでいいのか?がわからない。
「意識」って考えるとどうしても「自己」を考えざるを得ない。
脳の中の論理を構成する関係性が全て同一となれば
「意識」も同じ、すなわちまったく同じ人間が現れるのだろうか?
この場合の「人間」とは容姿・性別を意味しない。
俗な言い回しをすれば「輪廻転生」「生まれ変わり」のことである。
私が死んだあと、私のこの意識が再びこの世に現れる時があるとすれば
それは脳に構築される論理体系が同じになった時と考えていいのだろうか?
なんか違うような気がするのだが、
これをどう考えたら良いのか分からないのである。
この「意識」は言語体系に依存するのだろうか?
それとも、意識というものは神の領域であって
言語体系に関係なくア・プリオリに存在するのだろうか?
ヒトは自分自身を神格化する傾向にあるという。
サルよりヒトの方が遥かに偉いとかんがえる。
サルまでなら進化の議論をできるが、
ヒトになるには大きな壁があると考えがちである。
そのような思考が「意識」を考える妨げになっているのだろうか?
私が死ねば私の意識が消滅し、
それが二度とこの世に現れないと考えればそれでいいのだが、
「千の風に乗って」みたいな考え方を人はどうしてもしてしまうように思う。
そして、自己同一性を考えるとき、
いつもこの問題で思考停止してしまうのである。
むずかしい・・・・。