一次元の情報と三次元の情報?
少なくとも脊椎動物の形づくりを考えるとき、
三次元の構造を作り上げる仕組みを考えなくてはならない。
そして、その情報はすべてがゲノムに書かれていると考えられている。
すべてがゲノムに書かれているという言い回しに抵抗がある人もいるかもしれないが、
ゲノムの定義からしてそう言わざるを得ないのは仕方ない。
もし、この言い回しに抵抗がある人がいるとすれば、
「ゲノム=DNAの一次情報」といった図式に抵抗があるのではないだろうか?
構造主義生物学、特にアンチ分子生物学としての構造主義生物学の人たちは、
発生過程には必ず卵が必要であり、DNAだけでは生きものは作れないとして
「構造」の必要性を主張した。
この論理は、実は私には全く理解できないものであった。
ゲノムの情報がDNAに書かれていると仮定すれば
その情報はとりあえず一次元の情報だと考えていいだろう。
そこから三次元のかたちを作るときにどのような仕組みが必要なのか?
というような問題なのだろうか?
ところで、ツメガエルの卵は受精前には動物極から植物極に至る軸しかない。
すなわち丸いかたちではあるが一次元の位置情報しか持ち合わせていない。
そこに精子がくると、動物半球のどこかから卵に侵入して受精が起こるのだが、
この精子の侵入点があらたな位置情報となって卵に三次元の軸を与える。
こういう事をぼーっと考えていて、
ふと先にあげたゲノムと卵の例のアナロジーに感じた。
かたちを作り上げるのに三つの次元(軸)が必要であるが、
元々一つの軸しか持たないとしたら
どこかであらたな軸を獲得しなければならない。
ツメガエルの発生ではそれが受精という現象なのだろう。
さて、こう考えてくるとゲノムのかたちは何次元なのだろうか?という疑問が浮かぶ。
ゲノムとはそこに含まれる要素の関係性であると考えると
その関係性はどうしても一次元では成立しそうにない。
というか、これまでの議論で明らかなように、
ゲノムに潜在する関係性とは四次元の関係性でなくてはならない。
とすれば、ゲノムの情報が物理的に見てDNAに書かれているとすれば、
その情報を三次元に展開してやらなくてはならないし、
その場所が絶対的に必要となってくると考えるの必然ではなかろうか?
その場所が、例えば卵という構造であり、
このことを構造主義生物学者の人たちは言っていたのであろうか?
ここに時間軸を加えて四次元の情報にしたら一体どうなるのだろう?
よくわからないなあ。
はしもとさんの議論とは少しずれるかもしれませんが
僕は染色体の構造が立体であるという意味合いで、
ゲノムは一次元以上のかたちをとっている、と思っています。
離れた構造体が、一次元のDNAの情報に左右されずに、相互作用し、
遺伝子の制御をすることがあるわけで、こうなると
今の分子生物学の解析方法ではなかなかゲノムを理解するには難しいなあと思います。
確かに私の議論とは全く異なるとは思いますが
その通りだと思います。
話変わって、ゲノムのかたちを遺伝子の関係性におくとすれば
近藤寿人さんや荻野肇くんのやっているような
全塩基配列決定後のプロモータ解析なんかは意味があるのかもしれない。
ただ、人の頭でどこまでそれが分かるのか・・・?
中途半端な事をやって間違えた方向の議論で終わるかも知れません。