学習・進化・・・そしてAI その2

これは「学習」に他ならない。人が行なう「学習」は、とにかく過去の知識を脳内に入れることである。「知識」とは単語や具体的事例などの「要素」だけだと思われがちだが、実は「要素同士の関係性」や「論理」など「思考の方法」もまた「知識」に含まれる。人類が過去に経験したものを学習し、そこから現在の試行錯誤が始まる。知識が多ければ多いほど応用力は高いだろうし、過去と同じ失敗を繰り返すことはない。英語の学習にしても、英文法の知識よりも、実際に使われている英語の表現をどれだけ知っているかが鍵となる。それを我々は、時間をかけてゆっくりと行なう。教科書で勉強し、興味を持てば専門書に移る。趣味の知識もある。「よくもまあここまで」と思えるくらいに鉄道のことを知っている子供もいるが、これもまた「学習」の賜物である。研究者も、自分の専門分野に特化して、かなり詳細な知識を持っているからこそ、その分野の研究ができる。というか、知識がなければ、過去と同じ失敗を繰り返すだけで終わることがほとんどであろう。過去の成功例も失敗例も知識として学習することで、そこから研究が進められる。人間の場合、知識を脳にインプットする行為、すなわち「学習」には時間がかかる。また量的制約もある。ありとあらゆる考え方を会得することも至難の業である。しかしAIは、まず学習を瞬時に行なう。というか、「学習」をする必要はない。我々が己の脳に苦労して取り込まなくてはならない知見の一つ一つは、莫大なデジタルデータの中にある。AIが自分でそれを持つ必要はないのだ。だから、ある命題が与えられた場合、人間ならその背景にある知識がなければ対応できないのだが、AIの場合にはその瞬間に世界中のデータベースにあたることで済む。済むという生やさしいものではない。人間の知識には限界がある。ありとあらゆる知識を持っている人間はいない。人間は、その瞬間までに出会った知識の量が最大である。しかも、人間は「忘れる」。出会ったすべてを記憶している人などいないだろう。出会える知識の量が知れている。その上で、出会った知識(の大半)を忘れるのだから、人間一人ひとりが持っている知識の量なんて微々たるものである。「想像力」や「独創性」が人間の特権のような議論がなされることがあるが、創造するのも、それまでに出会った知識や思考の方法論の組み合わせに頼るしかない。ある要素同士の関係性が、それまで信じられてきた形とは異なる「かたち」に作り上げられた時に「独創的」と言われる。ゼロから1を創造することなんて基本的にはあり得ない。対してAIの知識は、現在の世界中にあるデータのすべてである。その莫大なデータの淘汰圧をかいくぐって残ったものが結論である。同じ行為は人間の脳内でも無意識下に行なわれているが、淘汰圧をかける環境の大きさが絶望的に違う。

つづきます