学習・進化・・・そしてAI その1
AIについて思っていることを書くのだが、先に言い訳させていただくと、あくまでも私が勝手に思っていることなのであって実際にそうかどうかは私にはわからない。ただ、原理的にはこう考えるしかないように思っているのだ。
昔からAIという言葉は「人工知能artificial inteligence」の意味で使われている。ただ近年、ChatGPTあたりからだろうか、その本質が違ってきたように思う。一つは根本的な考え方の問題である。過去のAIは、その計算能力の高さからすべてを自分で計算して解決しようとしていた。近年よく目にするのは台風の進路の問題である。これまでは、台風やその他の気象の動きを物理的に分析して、そこから「自力」で進路や発達の程度などを予想しいたが、最近は、過去のありとあらゆる気象データから、今後の進路として最も確からしいものを推定する方法へと変わってきたそうである。囲碁や将棋も、以前は、AIがその時々の状況を論理的に判断していたのだが、現在は、過去のあらゆる対局データに問い合わせて、ありとあらゆる可能性の中から最も良い結果に辿り着く手を「最善」と判断するようになった。そして、それによってもはや人間ではとても対抗できないところまで発達した。今では、最前線を走るプロが、AIを参考にしているとさえ言われている。
これは翻訳でも同様であり、過去には翻訳の規則「文法」を解析し、そこから独自に翻訳文を作り出そうとしてきた。だから、日本語にはない冠詞を扱えなかったし、訳文が、本来の言語にはそのような表現はないようなあまりにも不自然なものにならざるを得なかった。だから、普通には人間が翻訳する方がよほどその国の言語に近い文章になった。でも今は、翻訳も、ビッグデータに頼る。「あれ、このときはtoだっけ?それともfor?」みたいなことを、本当に存在するかすら疑問である「法則性」を頼って英語を作るのではなく、存在するありとあらゆる英文にあたって、最も使用されている表現を選択して英語が出来上がるようになった。だから、読んでもまったく違和感のない表現が出来上がる。だって、それはすでに存在する英語の中から選択しているのだから当然のことであろう。