しらす

古事記が好きである。最近は近代史の本もよく読んでいる。特に昭和天皇にまつわる話を読み返している。私が大学院の博士課程に入学したのが平成元年であるので、上皇さま(平成の天皇陛下)に関わる出来事は、報道で見聞きする程度だが直接的に知っているつもりだが、昭和天皇は私が物心ついた時にはすでに「おじいちゃん」だったように感じるので、もっと知りたいと思ったわけだ。

昭和天皇は私のような生物学者にとっては伝説的な方である。荒俣宏などは昭和で最高の博物学者などと言っていたように記憶している。逸話を聞く限り私もそう感じる。

終戦直後、アメリカ軍が戦後統治に乗り込んできて、マッカーサー元帥が初めて昭和天皇と面会する時の話。それまでの経験から国王や支配者は必ずみっともない命乞いをしてきたから昭和天皇も同じようなものだろうとマッカーサーは高を括っていたらしい。だから出迎えにも出ず、ソファにふんぞり帰って天皇を待った。昭和天皇は面会してすぐに「今日はお願いがあって参上した」と言った。マッカーサーは「そらきたぞ」と思った。しかし、昭和天皇の言葉はマッカーサーの予想とは全く違っていた。昭和天皇は「今回の戦争はすべて自分の責任である。国民には罪はない。罪はすべて自分が被る。喜んで絞首台にも登る。だから、国民のことをよろしくお願いする」という趣旨の言葉を述べられた。総理・外務・農林その他の大臣が責を負うことべきことまですべて自分の責任であるとした。俗な言葉で言えば、マッカーサーは度肝を抜かれた。昭和天皇の人間としての格の大きさに心を鷲掴みにされた。天皇家が所有する財宝のカタログを持ち、すべてを差し上げるから「どうか国民に食べ物を」と言われた時のマッカーサーの気持ちは想像するにあまりある。アメリカ本土では日本人の一定割合を飢え死にさせる計画があったとも聞くが、マッカーサーがそれらをことごとく拒否したそうだ。これもすべて昭和天皇の徳がなすことなのだろう。かなり端折って書いたが、ここまでのことは有名な話なのでご存知の方が多いと思う。

天皇の仕事はたくさんあるが、その最も大きいところはただひたすらに国民の安寧を祈ってくださることだろう。宮中祭祀なんてものはすべて私たち国民のための祈りである。だから戦前は「祭日」があった。今でも一定以上の年齢の国民は祝日のことを「祝祭日」という。天皇のお心は、上皇さま(平成の天皇陛下)からも常に感じさせていただいた。これについては書き始めたらブログ程度の規模では書ききれないくらいの思いがある。皇居の生物学研究所で上皇さまのお手伝いをしている研究者からも「あれほど高貴な人格をお持ちの人を他に知らない」と聞く。お身体を大切に、いつまでも健康で長生きしていただきたいと心から思う。

令和の世になって6年目に入った。昭和・平成の陛下と同じように、今上陛下も私たちの安寧をお祈りしてくださっている。この国に生まれて本当に良かったと思う。ちなみに歴史の中で最も古い国家は日本である。だから、日本という国をひとことで表すとすれば憲法の第一条はああなるしかないし、もっといえば大日本帝国憲法の第一条が最もふさわしいように個人的には思う。

大日本帝国憲法の第一条で最も重要なところは「しらす」という動詞であり、「しらす」こそが我が国の国体の真髄であると井上毅は考えていた。だから草案では「日本帝国ハ万世一系ノ天皇ノ治(シラ)ス所ナリ」とした。最終的に「治ス」は「統治ス」に改められたが読みはそのまま「しらす」のはずだ。これは「しらす」の意味をそのまま伝える日本語が他になかったためである。「しらす」とは「人の心を知り、それを鏡のように映し出して、それによって世を治めるという考え」だ。あの時に、権力や武力によって「占有・占領・支配」を伴った、西洋の王のような専制君主として天皇を「定義」していたら日本国の美徳は失われていたと感じる。西欧の哲学や近代法に精通していた井上毅が記紀や国作り神話など日本の精神の根幹を理解してこそ成り立った憲法だと思うし、中途半端な頭でっかちで西洋かぶれの法学者が書かなくて良かったと思う。

と私は本当に思っているのだが、まったく違う考えを持つ人がたくさんいることは存じている。もちろんその是非を語るつもりもなく、それぞれの価値観は尊重している。

この他にも、いくつか皇族に関して書きたいことがあるのだが、本を読んだだけではその文章をそのまま書くことしかできない。たくさんの本を読み、その知識を自分の中で消化し体系化して初めて文章に現せる。小さな島々のように独立して存在している知識が架橋され関係性を構築できてから、またいつか文章にしてみたい。