砂時計?
脊椎動物を定義するかたちとして咽頭胚が上げられるだろう。
とにかく、咽頭胚のかたちを経なければ脊椎動物は完成しない。
だから、「発生の砂時計モデル」が提唱されている訳だ。
最近,砂時計(ボトルネック)ではなく咽頭胚を始まりにおいてみたらどうだろう?
などとぼけ〜っと考えていた。
要するに、途中をくびれさせるのではなくくびれた(収斂した)ところから多様になるのである。
これには3つの前提を無理矢理おいてやらなければならないだろう。
ひとつはお母さんの体内で起こる卵形成を後期の個体発生に入れ込むことである。
次に、原腸形成過程に至る発生は卵に全てプログラムされていること。
これは、発生過程を通じてそのように言えるかもしれないが、
そうではなく、器官形成などのように「何かを考えながら作る」のではなく
受精が起こったら何も考えることなく原腸形成過程まで進むということである。
これは哺乳類の胚を考えたら無理があるように見えるので何とも言えないが
あえて胎盤形成からの一連の発生現象を卵にプログラムされていると仮定することでごまかそうと思う。
まあ、遊びのブログなので少し流してください。
最後に、咽頭胚の形態は原腸形成過程に潜在する何らかの普遍性に依る結果であると考える。
原腸形成過程が脊椎動物にとって何か重要なことをしているという風に見えてくるから、
私たちは両生類の原腸形成過程を詳細に解析して脊椎動物のかたち作りを考えようとしているのだ。
まあ、咽頭胚を脊椎動物の発生の最初においたところで何も変わらないと思えるかもしれないが
これを個体発生の連続としてみると少し面白いように見えてくる。
規則的に途中がくびれた長い管を、今までは砂時計を切り出すように
くびれとくびれの中間で切り落としていたのだが
それをくびれで切り落として一つの単位としてみてみようってこと。
これでなにかわかるのかな???
なんにしても、この見方の方が脊椎動物を表現しているように感じられる。
以前の「原腸形成運動」というコラムによると、「ツメガエルの咽頭胚のかたちとイモリのそれとは、「発生の砂時計モデル」に反して非常に異なる」とのこと。それで今回のコラムを読んで、「多様な受精卵と多様な咽頭胚。そして両者をつなげる脊椎動物に普遍的な原腸形成運動」という図式を思い浮かべてしまいました。そしてここから脊椎動物の個体発生のモデルとして、ちょっと変な例えなのですが、「串にさしたお団子」みたいなものをイメージしてしまいました。ちなみに「串」は「脊椎動物に普遍的な形態形成運動のかたち」、「お団子」は「その時々に断続的に現れる胚や器官の多様なかたち」です。
「砂時計モデルに反して」と申し上げたつもりはまったくありません。文章が下手で申しわけない。ツメガエルの咽頭胚も、その他の脊椎動物と同様の形態をとっていると思っています。ただツメガエルの咽頭胚については、見た目にはまったく他の脊椎動物の咽頭胚とは似ているようには見えない、あるいはものすごく異なっているように見えるわけで、その理由を考えた時に、原腸形成運動の違いに落とし込めるのではないかと思ったのです。いまのところ、これはまったく間違っているとは思っていませんが、検証しなければならないのです。だから「多様な咽頭胚」という表現は私の意図とは完全に異なります。「多様な受精卵」「多様な初期発生過程」から「均質に見える咽頭胚」へと至る過程に脊椎動物が脊椎動物である本質が潜んでいるのではないかと考えている訳です。難しいですね。
橋本さんの文章が問題なのではなく、議論の前提すらわかっていない私の「知識のなさすぎ」が原因です。というよりそもそもこのようなレベルでコメント欄に書き込んでいること自体が問題なのですが…。
「多様なかたち」が脊椎動物の大前提となるような「ある一つのかたち」に収斂していく。ただその「一つのかたち」もよく見ると「違い」がある。しかしそれでもなおその「違い」は「咽頭胚」という一つの枠組み中で捉えることができる。橋本さんがおっしゃる「差異から普遍性を読み取る」ということが少しわかりかけてきたような気がしました。
具体的なことに則さず頭で漠然と考えたことを、「普遍」「多様」「差異」「共通」などといった言葉でまとめると何となくわかったような気になってしまいます。抽象的な言葉は考えがすっきりまとまって便利ですが、中途半端に用いると思考停止に陥ってしまってこわいですね。