月日は

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」

 

旅をするにはもちろん時間の流れが必要である。

しかし、旅そのものは訪れた場所の記憶、

仮に移動中の車内の出来事であっても、

その瞬間の記憶の集積ではないだろうか?

だから、写真の思い出が旅の記憶として機能するのだろう。

だから、時間軸に対して水平に存在する物事の関係性だろうと思う。

 

これに対して、時間そのものを旅だと考えると、

時間軸に沿った物事の関係性を論じることとなり、

「かたちのへんかのかたち」の議論とおなじ臭いがする。

 

ただ、時間旅行という言葉で表現されるものは、

おそらく過去から現代に至る「瞬間」を旅するに過ぎないので、

たぶん普通の「旅」の概念からはまったくはずれていないだろう。

時間旅行の主語は人間であり、

芭蕉のいう「旅人」とは時間が主語である。

その差は質的に埋め難い。