大衆迎合
政治家の大衆迎合が批判を浴びている。
自分の主義主張も持たずその場その場で耳障りの良いことを言うのなら
それは批判されて当然のことだろう。
しかし、たとえば己の主義主張をしっかりと行なう。
その上で大衆がそれに賛同し、大きな力となった場合にも
それを大衆迎合と呼ぶのだろうか?
それこそ「政治」であり「民主主義」ではないのか?と思う。
これは単に橋下市長を「ポピュリズム」と批判する人たちへの質問だ。
橋下氏に賛同しているかどうかの問題ではなく、
彼のこれまでのやり方がそれほど大衆に迎合しているように感じないのだ。
彼から大衆に媚びているというよりは、
むしろ大衆も含めて周囲に喧嘩を売っているように思う。
その上で、府知事時代に実際に行なったこと、
すなわち「言うだけ」ではない実行力が評価されての期待感だろうと思う。
それを大衆迎合と揶揄するのはなんか方向が違うような気がするのだ。
公務員給与の削減とか国会議員定数削減とか、
少なくとも3年前にあれだけの勢力を持った時には行なえたはずのこと
しかもそれを政権公約とし、それへの期待で得た議席であるにもかかわらず、
まったく何もしなかった、それに関しての謝罪すらなかった政党こそが大衆迎合であって、
公約を果たす最大限の努力を、たとえ独裁と言われようが突き進めるひとを
その手法が「独裁的」に見えるという理由でファッショだのポピュリズムだの言う方がおかしい。
今の制度を変えるのにはエネルギーがいる。
時には独裁的に突き進むしか解決手段がない場合もあろう。
それを民衆は支持したわけだ。
って、この考え自体が何かに洗脳されているのだろうか???