マルティン=ルター

 

岩波新書の「マルティン・ルター――ことばに生きた改革者」を読んだ。

「ことば」という言葉に反応してしまったためだ。

内容自体は、私が考える「言葉」ではなかったが、

しかし、宗教革命がこのような流れで行なわれたのかと

違った意味で感心して読んだ。

 

著者の意図はそこにはないのだろうが、

このルターの生き様を知り、研究者のあるべき生き様にも思えるところがあった。

うつくしい日本語で書かれているのでお読みいただきたいのだが、

どういう生き様について私が反応したのかといえば、

ルターはただただ聖書にのみ真実を見いだそうとしたところである。

その他諸々の知識などを捨てて聖書自体を徹底的に研究した。

これは先日もこの欄で書いたように、

最も頭の冴えた午前中に「額に汗を流して」西田幾多郎は思索を行なったそうだが

この姿勢が重なって見えるのだ。

私たちはどうしても切り口を見いだそうとする。

それは当たり前のことだが、

草むらに鍵を落としたのにも関わらず暗いからとそこを探そうとせずに電灯の下ばかりを探すように

私たち科学者はついつい楽な方向に進みがちだと感じる。

そのような心の動きに喝を入れられる思いだ。

以前、JT内部の雑誌に生命誌研究館が取り上げられたとき、

私の研究を「ゲノムと真っ向勝負」とタイトル付けて紹介してくれた。

私がこの言葉を言ったわけではないが、

記事を書いてくれた方が私の印象をこう感じてくれたのだろう。

ルターのように、西田のように、本質に真正面から向き合わなければ、

重要なことに手は届かないのだろう。

頭では分かっているのだが、なかなか行動に移せない。

まだまだ未熟だなあ。