古い?新しい?
以前にも書いたようにこのところチョムスキーに関する本を読んでいます。
で、ある書籍の序論にソシュールが古いということが書かれていました。
いやあ、ソシュール信仰(と言うほどのものでもないけど)の私は愕然としました。
たしかに全然違うことは認めるけど、
そして時代的にはチョムスキーの方が新しいのも事実だけど、
ソシュールは古くさいのか・・・・。
以前にも書いたように、古いと新しいは輪廻転生を繰り返しているように思います。
ある時に「古いよ」と言われた考え方が
時代を経て「新しい」になることはよくあると感じます。
で、ゲノムを考える際に全体性の立場が大切かなとおもい、
構造論がピタッタリとはまったのですが、
そして生成文法にはいまだにしっくり来ないのですが、
この辺りの議論をどう考えたらいいのかよくわからないままでいます。
ただ、何となくですが「古い」と言った瞬間に思考停止してしまうように感じます。
現在の分子の知見が大量に蓄積された状況から、
ゲノムの解析は自然と数理系や情報系の解析へと動いていますが、
これだけの知見を元に哲学者や博物学者が議論したら面白いのではないかと
私は常々思っています。
まあ、根拠はないのですが、ゲノムを単なる情報として切り取ってほしくないなあって
変な感情があるのは事実だろうと思うのです。
チョムスキーがゲノム研究に対比される理由はよくわかりませんが、
その数理科学との親和性にあるように思っています。
で、私がチョムスキーに共感しきれないところというのが、
数理科学をゲノム研究に持ち込む思考に共感できないところと
おそらく共通の何かであろうとは思っています。
これが私の趣味の範囲で収まるのか、
何か重要なことを意味するのか分からないのですが、
直感的にチョムスキーを避けている自分に気付いてます。
ただ、食べず嫌いってのではないし、
額面がおぼろげに分かっただけで
チョムスキーの本質に迫れていないからだろうと思うので
もう少しチョムスキーを勉強してみようとは思います。
ただ、ミステリを読むようにはすらすらといかないのですよね。
数頁を何度も読み返しては頭を抱えたり・・・・・。