学習・進化・・・そしてAI その3

これはどういうことかと考えた場合に思いつく現象がある。進化である。ある理論生物の高名な研究者が「進化と学習は同じフェーズにある」と言っていたが、最近のAIはそれを目の当たりに見せてくれる。その時の環境からの淘汰圧から逃れたものが生存してきた過去の事例を総称して「進化」と呼ぶのだろう。現在のAIが行なっていることも、結局は過去から現在に至る、ありとあらゆるデータからの淘汰圧から逃れられたものを正解として提出している。生物の進化と異なるのはその速度である。生物の淘汰は、百年や二百年の話ではない、いや千年や二千年のことでもない、数万年、あるいは数十、数百万年の時間で行なわれている。また、淘汰圧をかける環境も、その生物に身近な環境に限られる。その生物が出会うことのない環境から淘汰圧を受けることはあり得ないからである。しかし、AIに至っては、世界中のデータベースに残る、時空間的にありとあらゆるデータからの淘汰圧を利用している。また、変異の速度も速い。速いって言葉では言い表せないくらい猛烈に速い。生物の進化では数十万年かかる「突然変異と自然淘汰」を、おそらく1秒もかからない間に完了してしまう。それから、この点が決定的に違うところだが、進化における適応はあくまでも偶然の産物であるのに対して、AIの場合は積極的に淘汰圧をかいくぐる。自分の目的を否定するような情報をどんどん捨てていき、肯定(ポジティブ)とまでいかなくても否定(ネガティブ)ではない情報のみを残していく。積極的にサポートする情報があればそれを利用するだろうし、それがなくても、否定しない情報が集まれば、それらを統合することで新たな抜け道を見つける。こういう行為を瞬時に行なうわけである。

いまでも、AIは計算能力が高いだけで、人のように自分で考え創造する能力はないという人がいる。これは人間の思考を買い被りすぎである。いまやAIは人間の学習、あるいは生物の進化、とまったく同じ論理を獲得している。「いまのAIは、ヴィトゲンシュタインの考え方を基にしている」と先日テレビで放送していたが、個人的にはソシュールの思考に端を発しているのではないかと思う。まあ、思いつたい人はヴィトゲンシュタインからきっかけをもらったのかも知れないが、考え方の原理原則は、生物の進化にあり人間の学習にある。それに、コンピュータの計算能力が加味されたことによって、人間を超えると言われるまでに発達した。

“singularity”は起こるのか?だが、私の考えは「近い将来、起こってもまったく不思議ではない」だ。少なくともその危険性は無視できないと思っている。

つづきます