講演概要

挨拶に代えて「かたちをどう考えるのか?」

橋本主税 ps_hashimoto生きものの形を作る情報はもちろんゲノムに乗っている。しかしながら、ではすべての遺伝子の働きを詳細に調べれば発生現象は理解できるのかというとそれは違うと感じる。特に、初期胚から莫大な細胞数を有する脊椎動物では、機械論と言うよりもむしろ確率論的な細胞の振る舞いを感じてしまう。 遺伝子はたしかに働いている。しかし、遺伝子の理解は細胞の中に閉じこもる。例え細胞外の因子を対象にしても、その理解はどの受容体に結合し、どのような シグナルが入って、どのような遺伝子の転写制御に関わるかに収束する。決して多細胞社会の形成にはつながってこない。オシレーション自体は遺伝子ネットワークで説明できる。しかし、複数の細胞が協調してオシレーションをする事自体はまったく別の仕組みが存在するはずであり、その機構こそが発生学にとって重要であるにもかかわらず、その説明はされない。遺伝子に焦点を当てすぎると細胞が形を作っているという事実を忘れてしまう。むしろ、ある遺伝子を発現する細胞は、その遺伝子を発現するという個性を持っているに過ぎず、このような個性豊かな細胞達が動き合い、互いに影響を及ぼし合いながら一つのかたちを作り上げていく、言わば細胞社会学か細胞行動学のような高次の概念が必要ではなかろうか?その高次の規則に則って各々の細胞が特異的な遺伝子を発現させ、それらが新たな個性を細胞に与えることによってさらに新たな形づくりへと向かわせる。発生現象を見ていると、チューリング波でしか説明できないような現象に出会う。正確な遺伝子発現は正確な発生過程を踏むことによって保証される現象を目の当たりにする。生きものは、かなりいい加減な仕組みで形を作りながら、それでも最終的にできあがるものは正確であるという「しなやかさ」を持っている。これらの理解の為に、遺伝子発現制御はさておき、細胞群が特定のかたち・パターンを作る高次の仕組みを考えてもいいのではないだろうか。このような考えの基に、様々な角度からかたちにアプローチをかけているユニークな研究者の方々にお集まり頂いて、独創的な切り口からかたちについて論じて頂く。結論として何が見いだされるのか、再び混沌の中に沈み行くのか楽し みなところである。 まず私は、アフリカツメガエルの研究を通して見えてきた形態形成機構について、細胞運動の立場から概観し、形態形成運動と遺伝子がいかに関わるのかについて簡単な問題提起を行なって、次に続く魅力的な話のきっかけとしたい。


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「カエルの発生をレポート用紙3枚にまとめる」

坂井雅夫 ps_sakai現状では、発生は遺伝子発現のネットワーク(Gene Regulatory Network: GRN)によってドライブされている、ということになっている(たぶん、今回のワークショップのメンバーの中では、私はこの共通理解にもっとも近いところ にいる)。で、もしそうであるならば、原理はすでに提出されていて、あとは応用問題だってことになる。 私からみて、学問の中央に近いところにいる(分子生物学的な手法を主に使う)研究者に対する質問は、遺伝子をさらにたくさんとって、その機能を解析するっていうのはきりがないのではないか?ということである。さらに問題なのは、GRNは、おそらくは非常に複雑なものである、ということだ。Aという遺伝子の発現が、Bにより促進されCによっては阻害される、っていうような話は、なかなかすっきりした話で、カタルシスがある。ところが、Xという遺伝子の転写調 節領域には20の転写因子結合部位があり、それを30の転写因子が奪い合って制御している、というような話は、すくなくともいまのところ解析しようもない し、解析できたとしても、やってる人以外は理解できないだろう。このラインの仕事はうまくいったとして、100 MBの画像 100万枚とか、1000ページの本10000冊っていうことになり、カタルシスよりは疲労感を見る人に与えるかもしれない。 私の目標は、私の材料であるアフリカツメガエルの発生をレポート用紙3枚程度にまとめることである。「受精卵には3つの部分があり、第一卵割までに起こる細胞質運動によって、初期原腸胚ではオーガナイザー、動物側、植物側の3つの機能的に異なった部分ができる。これらの相互作用により、胚の背腹、前後の体軸はつくられる」っていうのがとりあえずの叩き台である。 たぶん、この程度の説明も外から見てる人には煩雑かもしれない。もっと簡単なモデル、全ての生物の発生をレポート用紙1枚でってわけにはいかないのか? いかない、っていうのが私の答である。確かに、発生メカニズムの共通性は存在するだろうが、種による違いもまた存在する。個別の種で、発生メカニズムがどうなってるかは、個別に調べてみないとわからない。そういう意味では、発生生物学は歴史学の様なものだ。一応、理論はあってもその理論は実態にあわなければ捨てられるし、種によって、どのメカニズムがどの時期にどのように使われているかはまた違う。 ワークショップで、私と全く違う立脚点でものを考えている人と意見交換をするのを楽しみにしています。


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「脊椎動物発生における形づくりを見る」

八田公平 ps_hatta脊椎動物の発生においては、1つの受精卵が分裂して多細胞のかたまりになった後、胚葉が形成され、神経管をはじめとする様々な器官原基が単純から複雑な構造へと、秩序正しく変化していく。一方その構成要素であるひとつひとつの細胞のふるまいは必ずしも厳密にきまっているわけではなく、揺らぎをもちつつ、互いに調整し合うことにより、全体としての秩序を実現しているようである。しかしながら、細胞集団のふるまいについては、わかっているようで、実はあいまいな想像力に依存しているのが現状であった。 私たちは、胚が透明なゼブラフィッシュを主な材料として、さまざまなラベリングとイメージング技術によって、細胞の集団のふるまいを‘見る’ことを試みている。ひとつひとつの細胞だけではなく、細胞集団を全体として体系的に観察することにより、いままでよく知られていなかった形態形成の仕組みを明らかにす る可能性について、タイムラプスムービー等を用いて議論したい。


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「ヒドラの形づくり」

清水 裕 ps_shimizu生き物の形をどうとらえるか、と問題提起されて興味を持つのは動物を研究する人が植物を研究する人に比べてはるかに多いのではないだろうか。固着性の生活を営む植物にとっては、日光や水分、養分をより効率よく採り入れることがかたちづくりの上での最重要課題で、周囲の環境との相互作用がかたちに大きく影響 している。遺伝情報は相互作用をサポートする役割を果たすように見える。最近の植物の研究でも、かたちそのものよりはどの器官を作るかというホメオティッ ク遺伝子の話題が多い。これに対し、動物は基本的に移動性であり、移動しながら餌を採り入れるのに適した形が選ばれると考えられる。移動性、捕食性のライフスタイルは左右相称の形態を実現させ、呼吸、循環、消化などの生理機能を発展させた。このような動的環境は明らかに植物に比べかたちづくりの自由度を増大させ、ゲノムの関与は多岐にわたると考えられる。なぜこんな比較をしょっぱなから行うかと言えば、今回とりあげるヒドラ(動物)は、固着性(基本的に)の生活を営む点で植物的な面を持つのに対し、捕食性という点で動物的、そして生理機能発現機構は高等動物に近いというモザイク的な側面を持つためである。私はかたちづくりと心中するつもりだったが、あっけなく「ころび」、生理機能発現、軸形成などの基礎的観察に流れていった。そのつたない経験から感じるのは、かたちづくりは単にコンピューターを使って再現してもそれは表面的自己満足であり、かたちと機能の関係を理解しなくては生命現象の理解にはつながらないということだ。本発表で私は、ヒドラのかたちづくり、生理機能とかたち、ヒドラ前後軸と高等動物前後軸、の3つにわけて話題を提供する。ただし、まだ一つとして完成形ではない。その点過大な期待は厳禁する。

  1. かたちづくり 細胞分裂とかたち 微小管とかたち 細胞外骨格とかたち
  2. 生理機能とかたち 循環機能 消化機能 肝機能・呼吸機能
  3. 前後軸とかたち ヘッケルのガストレア説 ほ乳類の場合 ヒドラの場合

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「形は細胞がつくる」

本多久夫 ps_honda多細胞生物は細胞とその分泌物でできているのだから、多細胞生物の形は構成要素である細胞の性質・能力で説明できるはずである。細胞が集まって自分たちだけで球形になったり、中空をもつ袋(胞)になったり、2種の細胞があんこ入りの饅頭のような構造をつくるのは、構成要素である細胞の性質の反映である。これらの細胞の性質が、形をつくりながら時間と共に変移すれば次第に複雑な構造ができるに違いない。一般には、子が親に似ることから遺伝子が形をきめていると考えられている。しかし、遺伝子が直接に形をつくることは考えにくい。遺伝子は細胞の性質・能力をきめ、この後遺伝子とは独立にこの細胞たちが自分たちで形をつくっていくことが多いだろう。この考えに沿って、細胞塊の形を記述する3次元細胞モデルをつくって、細胞塊の変形のシミュレーションを行っている。構成単位の細胞に性質を入力すると、細胞塊の形が結果として出力されるのである。また、興味深い不思議な現象(たとえば、神経細胞の網膜視蓋投射によるパターン形成)を説明するためには、細胞たちにどのような能力があるはずかを考察している。これらの現状を述べる。


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「頭蓋骨縫合線のパターン形成の数理モデル化とその実験的検証」

三浦 岳 ps_miura我々の頭蓋骨は複数の骨からなり、その継ぎ目の部分は縫合線と呼ばれる。縫合線組織は新生児期にはまっすぐだが、次第に湾曲を起こして複雑なフラク タル構造を形成する。遺伝学的、発生学的にこの部分の発生の分子機序はかなり明らかにされてきたが、単に分子のリストアップをしたりその上下関係を見るだ けでは、なぜ複雑な構造が形成されるのかの根源的な部分を理解することはできない。 我々は、既知の分子ネットワークをうまく分類することによって、この発生系を2変数の反応拡散系でモデル化できることを示した。これによって、縫合線組織の幅の維持される仕組みや、その湾曲のおこる仕組みを数理モデルを介して理解することができた。また、数理モデルを介して生じてきた問題点を実験的に検証することにより、実際に実験のデザインにも数理モデルが有用であることを示した。


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「発生学を終わらせよう」

近藤 滋 ps_kondo自然科学は、自然現象を理解するために生まれるものだと理解している。当然、理解されてしまえば、その研究分野は発展的に解消し、さらにその先にある謎に研究対象は移行して行ったり、あるいは応用的な分野として存続することになる。物理学・化学がその典型的な例であり、分子>原子>素粒子>クオーク>、と 研究対象が移行していった歴史は、誰もが知っているとおりである。では生物学はどうだろう?「遺伝の法則」が生物学における最大の発見の一つであるが、それは分子生物学によってひとつの理解に到達した。もはや、「遺伝の 仕組みとは?」というテーマで研究している人はいない。と言うことは「遺伝学」という基礎の研究分野はもう無いと言うことだ。同様に、進化に関しても、進化の基本原理が「ランダムな変異と自然選択」であると言うことを認めているのであれば、もう研究分野としては完結してしまっている。シーラカンスがどのように進化してきたか、と言うのは「シーラカンス学」であって進化学ではない。それがわかっても、進化の理解の枠組みには何の変更も与える可能性が無いからである。さて、それでは発生学はどうだろうか?「発生現象を理解した」とわれわれが感じるためには、いったいどのような研究成果が上がればよいのだろうか?


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「真似ることとコピーすること」

細馬宏通 ps_hosoma最近の比較心理学の成果から、動物における「模倣」は、モデルとなる相手の行動をそのままコピーするようなものではなく、逆に、行動の中に潜んでいる特定の構造の分析によって行われる、とても抽象化された行動であることが分かってきた。たとえば、霊長類の模倣はいわゆる「サルマネ」ではない。マウンテンゴリラがイラクサの葉を食べる行動は、ある種の模倣によって獲得されるが、それは、モデルとなる他個体の行動をまるごと写しとるようなものではなく、むしろ、「不要物をとる」「葉柄をとる」「葉を折りたたむ」などの主要点のみを共通とし た、さまざまなヴァリエーションを伴う行動である(Byrne 2003)。 ヒトの幼児でも、「模倣」は必ずしも行動のコピーを意味しない。たとえば大人が三歳児の前で自分の耳を触ると、子どもは、同じ側の耳を触る傾向があるが、左耳を左手で触っても、右手でクロスして触っても、子どもは気にしない。つまり、どちらの耳を触るかは真似しても、どちらの手で触るかは真似しないのであ る (Bekkerling et al. 2000)。これら目的志向的な「模倣」に比べて、わたしたちが体験する真似には、しばしば行動の目的達成には関係ないディティールが含まれることがある。物真似芸人は、ただコップで水を飲むことや歌うことを真似るのではなく、ある有名人がコップで水を飲むことや歌うことを真似る。つまり、他の霊長類なら生存には不必 要な偏差として切り捨ててしまいそうなできごとを「個体差」や「個性」としてすくい上げ、真似ることを楽しむのである。他個体の行動から生存に必要な構造を抽出するのではなく、むしろその偏差を抽出するこの奇妙な性質は、ヒトにおける「かたち」の認識に大きな影響を及ぼしているに違いない。本発表では、「模倣」の問題を通して、われわれの「かたち」の認知の特異性を明らかにするとともに、その認知を拘束している条件についていくつか具体例を挙げて論じる。


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