まつりを終えて・・・

ps_after01「かたち」をキーワードにして何か集まりを開こうと思い立った。しかし、俗に「最先端」と呼ばれる人達の話など聞きたくもなかった。遺伝子で発生を語るなどという愚かな議論はそろそろやめにして、 まともに形を扱おうよと思っていた矢先なので、この面子が集まったのは必然であった。人選に大義名分など必要なかった。私が面白いと感じる仕事・人であることが全てであった。絶対中立などありはしないように、「まんべんなく」人を集めることは不可能である。それなら徹底的に趣味に傾いて良いだろうと勝手に決断した。それであの面々にお集まり頂いた。発表順序も、CDに収録する曲順を決めるような気持ちで考えたつもりである。この順序でなくてはならないと個人的には信じている。

ワークショップの構想を思い立った時、まず始めに近藤滋さんの顔が浮かんだ。もちろん近藤滋さんはこの世界では売れっ子であるが、それが選択の基準ではなく、単に近藤さんのサイエンスに対する、少し無謀とも思えるテイストが個人的にとても好きだったからである。アラン・チューリングなどは登場させる必要を全く感じなかった。ただ近藤節を炸裂させて欲しかったのだ。その時点で観客が来てくれるのかさえ分からなかったが、でもとにかくちょっときつめのスパイスとして近藤さんは入れておきたかった。

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次に思い立ったのは坂井雅夫さんだ。坂井雅夫さんは知る人ぞ知る変な人である。泥臭い発生の人なのに、そのテイストは極めて分子の方向に偏っているのだから、ある意味では、その経歴からしても近藤さんの正反対である。ただし、この流れは実は非常に発生生物学的なのかも知れない。「発生学は生化学のせいで何十年も遅れた」と岡田節人先生は言ったが、オーガナイザーに代表される実験発生学の次は、その働きを持つ成分を抽出することに注がれた。その系譜が脈々と坂井雅夫さんに続いていると感じる。

本多久夫さんは近藤さんの強い推薦であった。近藤さんは「本多さんが来るなら行ってやっても良い」と半ば脅迫する口調で本多さんの参加を勧めた。その時点で本多久夫という人物を全く知らなかったが(あとで気付けば、知らないうちに本多さんの文章を何度か読んだことはあった)、その後に会いに行ってその人間的魅力にまいった。近藤さんの言葉は正しかった。

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清水裕さんは、もともと工学部卒のエンジニアであったはずなのに、一番生物学者っぽい。この点も坂井雅夫さんの対称にいるように思う。彼の話には一種独特の間があり引き込まれる。あんなに簡単な形をしたヒドラをただ切ったり貼ったりする方法など何通りもあるはずがない、少なくとも私ならそう判断して研究を止めてしまうだろう材料と方法を用いて(実際に私はたかだか3週間足らずでヒドラから逃げてしまった・・・)、あの視点の研究をするとは脱帽である。ちなみに清水さんとは私がまだ22~3歳の時からの知り合いである。私の若かりし頃の愚かなところをいくつも見られているので、「何か危険なことを口走るのではないか?」と不発弾を抱えた気持ちでミーティング中はびくびくしていた。幸いにして不発のままだった(もし爆発していても、それは知らないでおく方が精神的によい)。

三浦岳さんは、実は彼が京大医学部の学生の時に会ったことがあり、変わった趣向を持つ人だと思っていた。西川伸一先生が何回か行なった「異分野交流フォーラム」に出席していたのだから変な人であることは言うまでもないのだろう(そのフォーラムの参加者と言えば倉谷滋に団まりな、近藤滋に細馬宏通・・・どう考えても西川先生の趣味による奇人変人大集合って感じでした。しかしなぜ私も招待されていたのだろう???今もって不思議だ)。それ以来、私の学会嫌い故に顔を見る機会はなかったのだが、昨年の発生生物学会で久しぶりにその仕事を知ることとなった。なんというか、正直に言うと研究の詳細はまったく分からなかったのだが、何とも味のある面白い発表だっ た。もちろん、この集まりに呼ぶのにはふさわしいと感じた。

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八田公平さんは、発生学で一番重要なことをしっかり研究している印象が私には強い。研究方法は最先端であるのだが、その本質は「網羅的・・・」とは一線を画する、と言うか「そんなものと比べて欲しくない」と言われるかも知れないが、この研究をするためには絶対にこの方法論が有効であることを見切った研究者であると思う。最近はその逆に方法論から入る研究者が多いと思えるので、そのアンチテーゼとして八田さんには話をして貰わなければならないと感じた。近藤さんがスパイスとすれば八田さんはなくてはならない隠し味である

ところでどうでも良いことなのだが、細馬宏通さんの学位記の番号は私の次である。したがって私は細馬さんと同じ年に学位を取っている。もともと日高敏隆先生の研究室を出た生物学者であったのだが(行動生物学の材料に「大して行動しない」シャクトリ虫を選んだと言う点も私の心をくすぐる)、なぜだか一見して生きものと分かるものから研究対象が移っていった。

私が影響を受けた彼の言葉に「形の変化の形」がある。生きものの形の変化を扱う学問としての発生学を考えると必 ず同一時空間上の形と共に時空間を隔てた形の変化を全体として形と認識する必要性を痛感するのであるが、彼はこの感覚をさらりと言ってのけた。トリには細馬さんに座って貰うしかない、突然そう思い立ってしまった。

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あえて繰り返すが、徹頭徹尾この集まりは橋本の趣味である。大きくコケる危険性は多分に存在していた。しかし、少なくとも私だけは満足できるという確信は あったので強行してしまった。結果は・・・皆さんがご判断くださっているだろうから、敢えてここで何も書こうとは思わない。当日のDVDを見直しながら、あらためて強烈な個性に触れて頂ければ幸いである。

最後に、内容が同じではつまらないが、これと同じくらいに楽しい集まりをあらためて企画したい。次回は哲学者を呼んでも面白いかもしれないし、発表形式よりも討論形式にする方が皆の個性が主張しあって面白いかもしれない。まあ、ゆっくり考えてみよう。どんな集まりになったとしても、キーワードは決まってい る。ホイジンガーに敬意を払って「遊び」である。

ようやく後厄も終わった43才の誕生日に
生命誌研究館・橋本主税