スポーツとゲシュタルト

フィギュアスケートの浅田真央さんの演技についてテレビで特集していました。

スケートなんて分からないのですが、

なんだか「ふ〜ん」って思うことがありました。

今シーズンのハジメはとても不調だったらしく、

得意の3回転半ジャンプが1回転にしかならなかったり

転倒したりと散々だったようです。

まあ俗にいうスランプだったのでしょう。

 

コンディションを整える専属トレーナーが浅田さんにはいらっしゃるようで、

彼に焦点を当てた特集でした。

詳細は省きますが、そのトレーナーは浅田さんの練習から全ての滑りを撮影し、

ありとあらゆるチェックポイントを検討しながら

気になったところをコーチに伝えたりするそうです。

今回のスランプ脱出法として彼はウオーミングアップに注目しました。

これまではひとつひとつの動作確認だけであったウオーミングアップを、

息が上がるくらいのきついものに変えたそうです。

現時点では効果はてきめんに現れたようで、

先日の四大陸選手権で優勝したのは皆さんご存知のことでしょう。

トレーナーは、ウオーミングアップの方法を変えた理由を、

ウオーミングアップで完全に身体を温めて

本番では最初から最高の演技ができるようにしたと説明していました。

もちろんテレビ番組ですから編集もあるでしょうし、

トレーナーとしても本当のことを話さないことも考えられますが、

このウオーミングアップの方法を変えて成功した理由を私は違った見方をしてしまいます。

 

話を変えます。

私の小さい頃の男の子がする遊びはほとんどが野球でした。

私も暗くなるまで毎日草野球を楽しんだものです。

それほど運動神経の良くない私は守備でエラーをよくしましたが、

その時に傾向があるのです。

たとえば真正面から転がってくるゴロをとる時や

定位置の真上に上がったフライをとる時によくエラーをしたのです。

しかし、とっさに身体の横に飛んできたボールには割と反応ができて

なんとなくファインプレーのようなこともできました。

これをどう考えるのかその頃はもちろん分かりません。

ただ、いまの私にはこれを得意のかたちで説明できます。

 

運動は脳・神経系の結果であると私は考えておりますし

ここでは何度もそのことを論じたと思います。

要するに、その運動に関わるありとあらゆる神経が

最適のかたちを構築し、その結果として正しい動きとなるのです。

だから何か新しい運動を初めて行なった時には

どうしても「正しい」動きができないけれど、

何度も練習することで神経系にその運動に適したかたちが構築でき、

結果としてその運動が少しずつ上手になってくるってことだと考えています。

俗に言われている「運動神経の良い人」とは

このようなかたちを作る能力が長けている人のことで、

同様のことは外国語の習得が得意な人とかでも言えると思っています。

ではなぜ正面のゴロや定位置のフライをエラーするのでしょう?

私の考えでは考える時間があるからだと思います。

要するに、とっさの動きが要求される時には考える時間はありませんから

練習によって獲得したかたちが瞬時に機能する訳ですが、

一瞬でも時間的な余裕があるとそのかたちがゲシュタルト崩壊するのではないか?

それこそ、「グローブをどうやって出そうか?」とか

「どっちの足をどう動かそうか?」とか、

言葉では考えないにしろ身体(神経系)の中で出来上がったかたちがばらばらになって、

筋肉を動かす時の強弱とかを指示する全ての神経の働きが

互いに最適な度合いで体系を形づくられなければ最適な動きはできないのに、

たとえば前回失敗した何かひとつの動きを思い出し、

その動き(その神経のはたらき)だけが抽出された結果として

神経系に形づくられた全体性のようなものがゲシュタルト崩壊してしまうということです。

実際にプロ野球の選手でも、足を完全に止めて定位置のフライをとるのは難しいと言います。

だから、一歩も動かなくて構わないくらい真上に上がったフライをとる時でも、

一旦バックしてから前進してとるそうです。

これも体全体の動きを行なうことにより動きのゲシュタルト崩壊を防いでいるのでしょう。

 

伊達公子さんが現役に復帰した時にどなたかが言っていました。

「人は、何をどうすればいいのか分かった時にはそれができる体力がなくなっている」と。

で、伊達公子さんは普段の節制の賜物で体力がそれほど落ちていないから

長いブランクをものともせず大会で優勝できたということです。

これも私にはすごく納得できる話です。

要は、個別のトレーニングや筋力アップ、あるいは個々の技術などではなく、

もちろんそれらの裏付けは必要なのでしょうが、

それよりも、全体性の重要さを、無意識のうちに経験として体得するのではないでしょうか?

 

昭和の大横綱・千代の富士は、ある程度の経験を積んでから強くなりました。

ある程度の年齢を重ねた彼は若い頃ほどの稽古をつまなかったそうですが、

その強さはそれほど衰えることは無かったらしいです。

おそらく運動能力をここに測定したら若者には到底かなわないのでしょうが、

それら個々の運動能力を個別に使うのではなく

結果として最適に身体を動かせるようなかたちを会得していたのでしょう。

 

で、浅田真央さんの話ですが、

トレーナーの言う「身体を温めておく」も間違っているとは言い切れませんが、

浅田さんくらいに練習を重ね、既にその技術を自分のものにしてしまっている人には、

ゲシュタルト崩壊させないことの方が遥かに大切なんだろうと思います。

で、身体をある程度疲れさせるのは、考える余裕を頭や身体に残さないことにより

無意識に自分の持っているかたちを具現化できるひとつの方法なのではないかと思うのです。

 

まあ、たわごとですが、

宗教にも似た私の「かたち論」的思考からこのような理解も可能かな?って感じています。

で、いつも同じことを思うのですが、

このようなゲシュタルトの考え方からスポーツの指導ってできないものでしょうか?

個々の筋力を付けるのも必要だろうとは思いますが、

あらゆる筋肉を最も有効な配分で使うことが無ければ

どんな運動でもトップクラスには行けないと感じるのです。

まあ、外国語でも社会科でもスポーツでも「かたち論的指導」が有効だって思うので

やはり宗教なのかもしれませんね。

ところで、「外国語や社会科」って文系科目だけを取り上げていますが、

数学や物理学はかなり純粋な論理体系であるので、

そもそもこれらの勉強は「かたち論的」でなければならない訳です。

だからあえて言う必要がなかったということです。